プロローグ:一羽の鳥が京都の空に舞い降りた
2025年12月18日、京都市北区紫竹に、一羽の渡り鳥が舞い降りた。その名は「FUGLEN」。ノルウェー語で「鳥」を意味するこの名を冠したカフェは、1963年にオスロで産声を上げてから62年の時を経て、ついに日本の古都・京都に根を下ろした。
しかし、これは単なる新店舗のオープンではない。これは、北欧と日本、コーヒーとデザイン、伝統と革新を繋ぐ壮大な物語の新章なのだ。
FUGLENのロゴに描かれているのは、アジサシという渡り鳥。この鳥は世界で最も長い距離を飛ぶことで知られ、オスロの港から世界中の港町へと旅をする。まさにFUGLENそのものの姿だ。渡り鳥のように各地に降り立ち、その土地の良きエネルギーを吸収し、次の地へと飛び立っていく。そして今、京都という新たな港に到着したのだ。


第一章:オスロ1963年 – すべての始まり
物語は1963年、ノルウェーの首都オスロにある小さなカフェ「Kaffefuglen」から始まる。2人の女性が営むこのカフェは、コーヒーと紅茶を提供するシンプルな店だった。当時のノルウェーは、世界でも有数のコーヒー消費国。その背景には興味深い歴史がある。
18世紀、ノルウェーはブラジルへ塩漬けのタラを輸出していた。そしてその帰りの船には、ブラジル産の高品質なアラビカコーヒーが積まれていた。この貿易ルートのおかげで、低品質なロブスタコーヒーがノルウェー市場に侵入することはなかった。こうして育まれたのが、質の高いコーヒーを愛する文化だったのだ。
Kaffefuglenは、そんなノルウェーのコーヒー文化を体現する場所として、長年にわたってオスロのコーヒー愛好家たちの隠れ家となっていった。1960年代のオリジナルのバーカウンターと壁紙は、今日に至るまで残されている。
第二章:2008年 – 運命的な出会いと再生
時は流れて2008年。Kaffefuglenは閉店の危機に瀕していた。そのニュースを聞きつけたのが、当時24歳の若きバリスタ、エイナー・クレッペ・ホルテだった。
ホルテは、オスロの有名カフェチェーン「Stockfleths」でキャリアをスタートさせた。ティム・ウェンデルボーという、後にノルウェーのスペシャルティコーヒー界を牽引する人物と共に働いた経験を持つ彼は、わずか24歳でStockflethsのCEOに就任。150人の従業員と8店舗を統括する立場にまで上り詰めていた。
2007年、ホルテはノルウェー・バリスタチャンピオンシップで優勝。そして東京で開催された世界大会に出場したことが、彼の運命を大きく変えることになる。
Kaffefuglenの閉店を知ったホルテは、ここにチャンスを見出した。伝えられるところによれば、彼はわずか1クローネ(約15円)という象徴的な金額で店を買い取ったという。そして運命的な出会いが訪れる。
店を買い取った日、ホルテはペッペ・トゥルセンという男性と出会った。トゥルセンはヴィンテージ家具店を営んでおり、ノルウェーの伝統的な職人技術を守ることに情熱を注いでいた。石油産業によって豊かになったノルウェーで、手作りの家具文化が失われることを危惧していたのだ。
2人は意気投合し、コーヒーと北欧ヴィンテージデザインを融合させたカフェを作るというビジョンで一致した。こうして「FUGLEN」は誕生した。
さらにホルテとトゥルセンは、カクテルの専門家ハルヴォル・ディゲルネスをチームに迎え入れた。3人はそれぞれの専門分野を担当することになる。ホルテがコーヒーを、トゥルセンが家具とデザインを、そしてディゲルネスがカクテルを。こうしてFUGLENは、昼はスペシャルティコーヒーを、夜はクラフトカクテルを提供するユニークなスタイルを確立した。
第三章:コーヒーとデザインの哲学
FUGLENのコンセプトは明確だった。「質」と「ストーリーテリング」。
店内には1950年代から70年代のノルウェー製ヴィンテージ家具が配置された。カイ・フランクのグラスウェア、コーレ・ベルヴェン・フィエルドソーのセラミック、ビルガー・ダールによるドッカとダールのペンダントランプ。これらの家具は単なる装飾ではなく、すべて販売用でもあった。気に入った椅子やテーブルがあれば、座っていたその家具を購入できるのだ。
この試みは、トゥルセンの姉妹会社「Norwegian Icons」と連携したもので、北欧デザインの素晴らしさを世界に伝える使命を担っていた。実際、2014年にはニューヨークのSOHOで「Norwegian Icons」の展覧会を開催し、1940年から1975年までのノルウェーデザインの名作を紹介している。
FUGLENのチームはこう説明する。「コーヒーとデザインの共通点は、質とストーリーテリングにあります。高品質なコーヒーがその産地と焙煎プロセスを通じて物語を語るように、私たちが使用する家具や照明も同じように物語を持っているのです」
この哲学は、まるで暖かいリビングルームにいるような雰囲気を作り出した。FUGLENは単なるカフェではなく、北欧の生活様式そのものを体験できる空間となったのだ。
第四章:2012年 東京・渋谷 – 渡り鳥の大胆な挑戦
2007年の世界バリスタチャンピオンシップで東京を訪れたホルテは、この街に魅了された。「いつか東京にFUGLENを開きたい」。その夢が現実となるのに、それほど時間はかからなかった。
2011年、ホルテは日本で働いていた小嶋賢治という青年と出会う。小嶋は北欧のコーヒー文化を学ぶためにオスロのFUGLENにやってきた。当時28歳だった小嶋は、東京のポール・バセットで2年間バリスタとして働いた後、ノルウェー人の友人たちから「オーストラリアより北欧に行くべきだ」と勧められてやってきたのだ。
小嶋は後にこう振り返っている。「当時、ノルウェーがどこにあるかも知らなかったし、ノルウェーでコーヒーを飲むなんて聞いたこともなかった。デンマークのコーヒーコレクティブのことは知っていたけど」
小嶋はFUGLENで懸命に働き、その情熱と才能がホルテの目に留まった。ちょうどその頃、日本在住のノルウェー人の友人が、東京・渋谷の富ヶ谷にある亡くなった祖父母の家を貸してくれると申し出た。これが転機となった。
2012年5月、FUGLEN TOKYOが富ヶ谷にオープン。小嶋がヘッドロースターとして店を任された。
白い建物の正面はほぼ全面がガラス張りで、外には2面を囲むようにベンチが設置されている。中に入ると、深いチーク材の家具、1960年代のオリジナル壁紙、ヴィンテージのノルウェー家具が並び、まるで時間が止まったかのような雰囲気。それでいて、流行に敏感な東京の若者たちで賑わう、不思議な空間だった。

第五章:文化の衝突と融合
しかし、東京での船出は決して順風満帆ではなかった。
小嶋は後にこう語っている。「オープンから最初の3、4ヶ月は客がほとんど来なかった。たまに来るお客さんも、コーヒーを気に入ってくれなかった。『ジュースみたいだ』と言われたんだ」
FUGLENが提供するのは、ノルディックスタイルの浅煎りコーヒー。フルーティーで、花のような香りがあり、透明感のある甘い後味が特徴だ。これは当時の日本のコーヒー市場では非常に珍しいスタイルだった。
転機は思わぬところから訪れた。日本の人気雑誌「BRUTUS」がFUGLENを取材し、エアロプレスでのコーヒーの淹れ方を紹介したのだ。するとすぐに、店の前には行列ができるようになった。若い世代を中心に、よりクリーンな味わいを求める日本のコーヒー文化が変化し始めていたのだ。
「今では約60%のお客さんがブラックコーヒーを注文します」と小嶋は言う。「酸味を受け入れてもらうのに時間はかかりましたが、私たちは決して押し付けませんでした。ただ『これがノルウェースタイルのコーヒーです』と伝え、試してもらうことを勧めただけです」
2014年、FUGLENは東京の登戸に自社焙煎所を開設した。それまではオスロから豆を輸入していたが、週に約100kgもの量を使用するようになり、自社焙煎が現実的になったのだ。小嶋はオスロのKaffa Roasteryで焙煎を学んだバリー・カンと共に焙煎技術を磨いた。
「焙煎で最も重要なのは、優れた味覚を持つことです」と小嶋は強調する。「私は多くのコーヒーを飲んできたので、どんな味を実現したいかわかっていました。だから焙煎を学ぶのはそれほど難しくなかったんです」
第六章:世界展開 – アジアの心を掴む
FUGLEN TOKYOの成功は、世界的なメディアの注目を集めた。2011年、ライフスタイル誌「Monocle」は、FUGLENを世界最高の小売コンセプトの一つに選出。日本での成功は、さらなる展開への自信となった。
2018年9月、FUGLEN TOKYOの2号店が浅草にオープン。伝統的な日本文化が残る浅草は、1950年代から60年代の建築が現代建築と共存する、まさにFUGLENの美意識にぴったりの場所だった。店舗は浅草寺の近く、カプセルホテル「9h」の2フロアを占める形でオープンした。
さらに2025年3月には福岡・博多にもオープン。博多駅から徒歩5-10分という好立地の「博多イーストテラス」1階に構え、浅草店に次ぐ日本国内2番目の大型店舗となった。高い天井、広々とした座席、床から天井までの窓が特徴の空間は、ミッドセンチュリーモダンの美学を体現している。
そして2024年には、ソウルとジャカルタにも進出。アジア全域でFUGLENの存在感は増していった。
特にアジアでの成功について、FUGLENチームはこう語る。「アジアでの反応は素晴らしいものでした。北欧の美意識への深い理解があったんです」
ある韓国人女性の言葉が印象的だ。「ソウルの店を訪れたとき、彼女はコーヒーだけでなく、インテリアが心地よい家のように感じられると言ってくれました。そして自分もこのスタイルで空間をデザインしたいとインスピレーションを受けたそうです」
これこそがFUGLENの目指すものだった。北欧デザインを、憧れであると同時に深く個人的な体験として翻訳すること。
第七章:文化を繋ぐ使命
FUGLENの成功は、コーヒーとデザインだけによるものではない。その背後には、明確な価値観と社会への貢献という使命があった。
ホルテは創業当初からこう語っている。「私はお金のためだけに働くのではなく、社会に価値を創造するために働いています」
この思想は、コーヒーの調達方法にも表れている。FUGLENは業界でいち早く、仲介業者を介さずに農家から直接コーヒー豆を購入するダイレクトトレードを実践した。これは意図せずして、サードウェーブコーヒームーブメントの中心的存在となることを意味した。
また、FUGLENは小規模な独立系カフェへのサポートでも知られている。オスロの多くのカフェが証言するように、FUGLENは新しいカフェに対して豆の選定や抽出技術の指導だけでなく、マシンの調整まで手伝ってくれる。さらに、カフェが独自のハウスブレンドを作りたい場合は、豆の選定からパッケージデザインまでサポートする。
この姿勢について、あるカフェオーナーはこう語る。「他の有名ロースターは自社ブランドの保護に厳格ですが、FUGLENは違います。彼らが広く愛されているのには理由があるんです」
第八章:2025年 京都紫竹 – 新たな章の始まり
そして2025年12月18日、渡り鳥は京都に舞い降りた。
場所は京都市北区紫竹、北山通沿い。観光地からは離れた、地元の人々の生活が息づくエリアだ。周辺にはスーパーマーケットや公園があり、派手さはない。しかしそれこそがFUGLENの目指すものだった。
「日常に溶け込むエリア」。オーナーの言葉通り、FUGLEN KYOTOは地域の人々の時間に寄り添う「小さなコーヒーショップ」を目指している。
店内には、お馴染みの1950-60年代のミッドセンチュリー家具が配され、京都の作家による陶器も控えめに佇む。北欧のシンプルさと温かみ、そして京都の美意識が自然に共鳴している。
朝7時から18時まで営業し、東京の自社ロースターで焙煎された豆を使った本格コーヒーと焼き菓子を提供。オープン初日から行列ができるほどの注目を集めたが、店が目指すのは華やかさではない。
今後は京都のベーカリーとも協業予定で、さらなる地域との融合が期待される。これはまさに、渡り鳥が訪れた土地の良きエネルギーを吸収し、新たな文化を創造していくFUGLENの姿そのものだ。
エピローグ:渡り鳥は飛び続ける
オスロから東京、福岡、ソウル、ジャカルタ、そして京都へ。FUGLENの旅はまだ終わらない。
2018年、オスロのガムレビエン地区に2つ目の焙煎所がオープンした。興味深いことに、この焙煎所で使用されているのは、ノルウェーのコーヒー界の巨匠ティム・ウェンデルボーが使っていたプロバット焙煎機だ。ウェンデルボーが店舗のスペースを拡大するために手放したこの機械を、FUGLENが引き継いだのだ。
「この機械を買ったのは、その歴史のためでもありますが、完璧に手入れされていて、美味しいコーヒーを生み出すことが証明されているからでもあります」と焙煎所の責任者ヨアキム・ペーデルセンは語る。
現在、FUGLENはノルウェーに2つの焙煎所、日本に3つの焙煎所を持ち、それぞれが地域市場に向けてコーヒーを供給している。東京の焙煎所はアジア市場に、オスロの焙煎所はヨーロッパと北米市場に焦点を当てている。
面白いことに、同じコーヒー豆を使っていても、東京とオスロでは味が異なるという。小嶋はこう説明する。「東京の水はオスロより軟水なので、少し浅めに焙煎できるんです。時々自分のコーヒーをノルウェーに持って行くと、彼らの水には明るすぎるって言われるんですよ」
未来への飛翔
FUGLENの物語が教えてくれるのは、真の国際化とは何かということだ。それは単に世界中に店舗を増やすことではない。訪れた土地の文化を尊重し、そこから学び、自らの文化と融合させながら、新しい価値を創造していくことなのだ。
ホルテの娘は今、FUGLENのカフェで働いている。息子もこの秋から働き始める予定だという。「彼らがバーの向こう側にいるのを見るのは、本当にやりがいのあることです。これは世代を超えた物語なんです」
小嶋賢治は、かつてこう語った。「私の目標は、アジアでナンバーワンのロースターになることです」。その言葉には、静かだが揺るぎない決意が込められていた。
そして今、京都紫竹の地に根を下ろしたFUGLEN KYOTOは、新たな物語を紡ぎ始めている。
渡り鳥アジサシが世界最長の距離を飛び続けるように、FUGLENもまた飛び続ける。次の港はどこだろう。次に吸収するのはどんな文化だろう。次に創造するのはどんな価値だろう。
確かなことは一つ。どこに降り立とうとも、FUGLENは「質」と「ストーリーテリング」という哲学を持ち続け、コーヒーとデザインを通じて人々の日常に美しさと喜びをもたらし続けるということだ。
京都の空に舞い降りた一羽の鳥。その小さな翼が、これから京都の人々にどんな物語を届けてくれるのか。私たちはそれを見守り、体験することができる幸運に恵まれている。
さあ、FUGLEN KYOTOを訪れよう。一杯のコーヒーとヴィンテージの椅子が、あなたを60年の旅へと誘ってくれるはずだ。



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