北欧の鳥が世界に羽ばたくまで〜FUGLEN COFFEE ROASTERSの物語

プロローグ:コーヒーの国、ノルウェー

世界で二番目にコーヒーを愛する国――それがノルウェーだ。

人口わずか500万人のこの北欧の国で、国民の80%が毎日コーヒーを飲む。一人当たりの年間消費量は9.9キログラム。一日平均4〜5杯。フィンランドに次ぐ世界第2位の消費量である。

北緯60度を超える極寒の地。冬は長く暗く、太陽は地平線の下に沈んだままだ。そんな厳しい環境で、コーヒーは単なる飲み物ではない。それは人々をつなぐ社会的な儀式であり、暖かさと光を象徴する文化そのものなのだ。

この物語は、そんなノルウェーのコーヒー文化の中心地、オスロで生まれた一軒のカフェの物語である。1963年に小さな喫茶店として始まり、半世紀以上の時を経て、世界10都市に展開する国際的なコーヒーロースターへと成長した――Fuglen Coffee Roasters。

ノルウェー語で「鳥」を意味するこの名前の店が、どのようにして世界の空へと羽ばたいていったのか。これは、コーヒーへの情熱と、デザインへの愛、そして何より、文化を守り伝えることへの深いコミットメントの物語である。

第一章:ノルウェー、コーヒーの歴史

Fuglenの物語を語る前に、まずノルウェーとコーヒーの関係を理解しなければならない。

コーヒーがノルウェーに初めて到着したのは1694年のことだった。しかし、当時はまだ富裕層だけが楽しむ贅沢品に過ぎなかった。

転機は18世紀半ば。ノルウェーはデンマークとの関係により、他のヨーロッパ諸国よりもはるかに安い価格でコーヒーを輸入できるようになった。これにより、コーヒーは急速に大衆化していった。

1780年から1795年の間、ノルウェーでは一人当たり年間200〜350グラムの生豆が輸入されていた。これは当時の週間消費量に相当する量だった。比較すると、当時の植民地大国イギリスでは一人当たりわずか30グラム――年間3杯分のコーヒーしか消費されていなかった。

なぜノルウェーのような貧しい国が、これほど多くのコーヒーを輸入できたのか?答えは、今でも続く伝統――免税ショッピングだった。

18世紀後半、ノルウェー人は塩漬けタラ(バカラオ)をブラジルに輸出し、その見返りにコーヒーを得ていた。この三角貿易により、ノルウェーは世界で最もコーヒーを消費する国の一つになっていった。

しかし、1756年、事態は急変する。王室は「贅沢規制令」を発布し、コーヒーを含む贅沢品の消費を全面的に禁止したのだ。結婚式の期間、着用できる布地、提供できるアルコールの量、そしてコーヒー――すべてが制限された。

王室が述べた理由は、臣民たちの「無礼なほどの熱狂」に対する懸念だった。しかし、この法律は農民たちの激しい反発を招いた。コーヒーは、彼らの厳しい生活の中での数少ない楽しみだったからだ。

1799年、この規制は撤廃された。そして19世紀半ば、ノルウェーのコーヒー文化は爆発的に発展する。

1842年、ノルウェーで蒸留酒が違法となった。1917年から1927年にかけては、より広範なアルコール禁止令が施行された。人々は、社交の場でアルコールの代わりにコーヒーを飲むようになった。

医師たちは報告した。「熱い飲み物、特にコーヒーの消費が増加し、酒は減少した」

こうして、コーヒーはノルウェーの国民的飲料となった。

第二章:1963年、Kaffefuglenの誕生

1963年。ビートルズがイギリスを席巻し、ケネディ大統領が暗殺された年。オスロのウニヴェルシテーツガータ2番地に、一軒の小さな喫茶店がオープンした。

店の名前は「Kaffefuglen(カッフェフグレン)」――コーヒーの鳥。

二人の女性が営むこの店は、コーヒーと紅茶を販売する小さな専門店だった。店内には木製のカウンターとシンプルな椅子。壁には1963年当時のデザインの壁紙が貼られていた。

この時代、オスロのコーヒー文化はまだ発展途上だった。大手コーヒー会社のFrieleが1890年代から焙煎を始めていたが、他の主要なコーヒーハウスはすべて1960年代に誕生した。

第二次世界大戦後、ノルウェーは依然として貧しい国だった。外貨準備高は少なく、政府はブラジルとの共同貿易協定を維持していた。この協定は1960年まで続き、ノルウェーのコーヒーの50%がブラジル産、25%がコロンビアとグアテマラ産となった。これが、今日でもノルウェーのコーヒーブレンドにブラジル豆が多く使われる理由である。

Kaffefuglenは、地元のコーヒー愛好家たちの秘密の集いの場となった。決して派手な店ではなかったが、質の高いコーヒーと温かい雰囲気で知られていた。

やがて、この小さな店は大手コーヒーチェーンStockflethsに買収された。Stockflethsは、Kaffefuglenを系列店として運営し続けた。

しかし、2000年代初頭、Stockflethsはこの小さな店を閉鎖することを決定した。採算が合わなかったのだ。

40年以上続いたKaffefuglenは、消滅の危機に瀕していた。

第三章:2008年、Fuglenの再生〜三人の夢想家

2008年。世界金融危機が世界を襲った年。しかし、オスロでは一つの奇跡が起ころうとしていた。

当時、Tim Wendelboe(ティム・ウェンデルボー)というバリスタがノルウェーのコーヒー界で名声を博していた。2000年にノルウェー初の世界バリスタチャンピオンとなり、2004年には世界バリスタチャンピオンに輝いた彼は、2007年に自身の名を冠したマイクロロースタリーをオスロにオープンしていた。

Tim Wendelboeの登場により、オスロのコーヒー文化は新たな段階に入った。スペシャルティコーヒー、ダイレクトトレード、北欧スタイルの浅煎り――これらの概念が、ノルウェーのコーヒー愛好家たちの間で広まり始めていた。

その波の中に、一人の若いバリスタがいた。Einar Kleppe Holthe(エイナー・クレッペ・ホルテ)。

HoltheはStockflethsで働いていた。Kaffefuglenの店長でもあった彼は、会社が店を閉鎖すると聞いたとき、これを千載一遇のチャンスだと感じた。

Holtheには夢があった。自分の店を持つこと。そして、ノルウェーの伝統的なコーヒー文化と、新しいスペシャルティコーヒーの波を融合させること。

彼は、デンマークの新聞Dagsavisenの記事によれば、わずか1ノルウェークローネ(約15円)でKaffefuglenを買い取った。象徴的な金額だった。

しかし、Holthe一人では店を経営できなかった。そこで、彼は二人のパートナーを見つけた。

一人目は、Peppe Trulsen(ペッペ・トゥルセン)。ヴィンテージ家具店を営んでいた彼は、ノルウェーの伝統的な職人技を保存することに情熱を注いでいた。ノルウェーが石油国家になった後、伝統的な家具製作の技術が失われつつあることを彼は危惧していた。

二人目は、Halvor Digernes(ハルヴォル・ディゲルネス)。経験豊富なバーテンダーだった彼は、カクテルバーの運営を担当することになった。

三人は意気投合した。Holtheはコーヒーを、Trulsenはデザインを、Digernesはカクテルを――それぞれの専門性を持ち寄り、新しいコンセプトの店を作ることにした。

店名は「Fuglen(フグレン)」――ノルウェー語で「鳥」を意味する言葉。Kaffefuglenから「Kaffe(コーヒー)」を取り除き、シンプルに「鳥」だけにした。

コンセプトは明確だった。昼はスペシャルティコーヒーを提供するカフェ、夜はクラフトカクテルを提供するバー、そして常時ヴィンテージの北欧家具を販売するショールーム――この三つを一つの空間で実現する。

2008年、Fuglenは新たな形でオープンした。

第四章:デザインという哲学〜1950年代と1960年代の魂

Fuglenの店内に足を踏み入れると、訪れる者は時間を遡ったような感覚に襲われる。

壁紙は1963年のオリジナルのまま。木製のカウンターも当時のもの。しかし、その他のすべて――椅子、テーブル、ランプ、棚――は、1950年代から1960年代の北欧デザインの名作で埋め尽くされている。

Hans J. Wegner(ハンス・ヴィーグナー)の椅子。Arne Jacobsen(アルネ・ヤコブセン)のランプ。Finn Juhl(フィン・ユール)のテーブル。これらのアイコニックな家具が、さりげなく配置されている。

そして、驚くべきことに、これらすべてが販売されているのだ。

客が座っている椅子が気に入ったなら、買うことができる。壁にかかっている絵が欲しいなら、値段を聞けばいい。Fuglenでは、店内のあらゆるものが商品なのだ。

この独特のコンセプトは、Peppe Trulsenのビジョンだった。

1950年代と1960年代は、北欧デザインの黄金時代だった。第二次世界大戦後の復興期、デザイナーたちは新しい生活様式を提案した。シンプルで機能的、そして美しい――これが北欧デザインの哲学だった。

デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドのデザイナーたちは、木材、特にチーク材とオーク材を多用した。有機的なフォルム、クリーンなライン、そして人間工学に基づいた設計。彼らの家具は、単なる装飾品ではなく、生活の一部として機能するものだった。

Hans J. Wegnerは、「ウィッシュボーンチェア」で有名になった。Arne Jacobsenは、「エッグチェア」と「スワンチェア」を生み出した。Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)は、曲げ木の技術を革新した。Eero Saarinen(エーロ・サーリネン)は、「チューリップチェア」で新しい美学を提示した。

1950年代には、プラスチックとチーク材が人気を博した。軽さと機能性が重視された。アパートが小型化する中、柔軟性とシンプルさが求められた。

1960年代には、より大胆な実験が行われた。フィンランドのデザインが注目され、明るい色の木材が好まれるようになった。幾何学的で厳格なデザインが主流となり、新しい素材――チップボード、プラスチック、鋼管――が積極的に使われた。

Trulsenは、これらの家具が単なる過去の遺物ではなく、現代でも通用する美しさと機能性を持っていると信じていた。そして、特に重要だったのが、日本とスカンジナビアデザインの関係性だった。

多くのスカンジナビアデザイナーは、日本の美学――ミニマリズム、自然素材への敬意、機能美――に深く影響を受けていた。この相互影響の歴史を、Trulsenは「Norwegian Icons」というデザイン交流プロジェクトを通じて探求した。

Fuglenの家具は、すべて厳選されている。各アイテムには独自の物語があり、多くは日本の影響を受けたスカンジナビアデザインとのつながりを持っている。

客は、コーヒーを飲みながら、1960年代のチーク材の椅子に座る。その椅子は、60年前にデンマークの職人によって丁寧に作られたものかもしれない。そして、気に入ったなら、それを家に持ち帰ることができる。

これが、Fuglenの哲学だった。過去と現在、コーヒーとデザイン、ノルウェーと世界――すべてが一つの空間で融合する。

第五章:2007年、東京への夢

2007年、Einar Kleppe Holtheはノルウェーバリスタチャンピオンシップで優勝した。その賞品は、東京で開催される世界バリスタチャンピオンシップへの出場権だった。

Holtheは子供の頃から日本に魅了されていた。アニメ、マンガ、そして何より、日本の美学と文化。彼は、いつか日本でカフェを開くことを夢見ていた。

東京での大会は、Holtheにとって思い通りの結果にはならなかった。しかし、彼はその後数日間、東京の街を歩き回った。

渋谷の雑踏。原宿の若者文化。代々木公園の静けさ。そして何より、東京のコーヒー文化に彼は驚嘆した。

1888年、日本初の喫茶店「可否茶館(Kahiichakan)」が開業して以来、日本のコーヒー文化は独自の進化を遂げていた。1970年代には、新宿、銀座、神田などの学生街に多くの喫茶店(kissaten)が現れた。

しかし、2007年の東京は、さらに新しい波を迎えていた。サードウェーブコーヒー、スペシャルティコーヒー、シングルオリジンへのこだわり――これらの概念が、東京のコーヒーシーンを変えつつあった。

Holtheは確信した。「ここに、Fuglenを開きたい」

しかし、それは簡単なことではなかった。言語の壁、文化の違い、そして何より、資金と物件の問題。

Holtheは、この夢を胸に秘めたまま、オスロに戻った。

第六章:オスロでの成功〜2008年から2012年

Fuglenは、瞬く間にオスロで最も人気のあるカフェの一つとなった。

昼間は、浅煎りのスペシャルティコーヒーを求めるコーヒー愛好家たちで賑わう。Holtheは、生産者から直接豆を仕入れるダイレクトトレードにこだわった。品質、持続可能性、フェアトレード――これらすべてが重要だった。

焙煎スタイルは、北欧らしい浅煎り。豆本来の風味特性を最大限に引き出す焙煎だ。酸味が明るく、ボディは軽やかで絹のような質感。蜂蜜、フルーツ、花のような香りが特徴だ。

夜になると、店は変貌する。照明が落とされ、バーカウンターが開く。Halvor Digernesが調合するクラフトカクテルは、伝統的なレシピと革新的な技術の融合だった。新鮮でローカルな食材を使い、一杯一杯が芸術作品のように作られる。

そして常時、ヴィンテージ家具が展示・販売されている。Fuglenは、単なるカフェでもバーでもデザインショップでもない――それはライフスタイルの提案だった。

Fuglenの成功は、単に良いコーヒーと良いカクテルを提供しただけではない。それは、空間全体が持つ物語性だった。

客は、1963年から続く場所の歴史を感じることができた。壁紙とカウンターが、その証だった。同時に、1950年代と1960年代のデザインの美しさに触れることができた。そして、2008年のスペシャルティコーヒーの最前線を体験できた。

過去、現在、未来――すべてが一つの空間に共存していた。

Fuglenは、他のカフェとも協力関係を築いた。オスロの小規模で独立したカフェに、焙煎したコーヒー豆を供給するだけでなく、抽出技術の指導、マシンの調整、さらにはそれぞれのカフェ専用のハウスブレンドの開発まで支援した。

この献身的なサポートは、他の大手ロースターにはない特徴だった。Fuglenは、オスロのコーヒーコミュニティ全体を育てることに貢献したのだ。

2010年、Fuglenはさらに拡張した。隣接するスペースを借り、ギャラリースペースを追加。ヴィンテージ家具とオブジェのコレクションが拡充された。

Fuglenのビジョンは、明確だった。単に商業的成功を目指すのではなく、文化を創造し、保存し、伝えること。

第七章:2012年、東京・渋谷への飛翔

2012年。Holtheの夢が実現する時が来た。

ノルウェー系日本人の友人が、東京の渋谷区富ヶ谷にある亡くなった祖父母の家を貸してくれることになった。古い日本家屋を改装し、カフェにする――これは完璧な機会だった。

Holthe、Trulsen、Digernesの三人は、東京行きを決断した。彼らは、オスロのFuglenと同じコンセプトを東京で実現しようとした。

しかし、東京は簡単ではなかった。

まず、日本の建築基準法と消防法をクリアしなければならなかった。古い木造家屋を商業施設として使うには、多くの改修が必要だった。

次に、家具を運び込む必要があった。オスロから、コンテナいっぱいの1950年代と1960年代のスカンジナビア家具を船で運んだ。Hans J. Wegnerの椅子、Arne Jacobsenのランプ、アンティークのコーヒーミル――すべてが慎重に梱包され、遠い北欧から運ばれてきた。

そして、スタッフの採用とトレーニング。日本人バリスタたちに、北欧スタイルのコーヒー抽出技術を教えなければならなかった。

2012年5月、Fuglen Tokyoがオープンした。

場所は渋谷区富ヶ谷。代々木公園の近く、渋谷駅から徒歩15分ほどの住宅街。騒がしい渋谷の中心地から少し離れた、静かなエリアだった。

店の外観は、白い石壁と赤い丸い鳥のロゴ。一見すると、普通の住宅にも見える控えめな佇まいだった。

しかし、中に入ると、別世界が広がっていた。

北欧デザインの家具で埋め尽くされた空間。チーク材の温かみ。レトロだが洗練されたインテリア。そして、バリスタが丁寧に淹れる北欧スタイルのコーヒー。

東京の人々は、Fuglenに魅了された。

日本には、もともとスカンジナビアデザインへの強い親和性があった。シンプルさ、機能美、自然素材への敬意――これらは、日本の美学と共鳴するものだった。

そして、コーヒー。東京は世界で最も洗練されたコーヒー都市の一つだった。多くの日本人バリスタが世界大会で優勝し、日本のコーヒー文化は独自の進化を遂げていた。Fuglenの北欧スタイルの浅煎りコーヒーは、この文脈の中で完璧にフィットした。

さらに、夜のカクテルバー。東京には無数のバーがあったが、Fuglenのような北欧スタイルのクラフトカクテルバーは珍しかった。

そして、家具の販売。東京の若いクリエイターやデザイナーたちは、Fuglenのヴィンテージ家具に飛びついた。

Fuglen Tokyoは、瞬く間に東京で最も人気のあるカフェの一つとなった。Instagram時代の到来とともに、その美しいインテリアは無数の写真に撮られ、SNSで拡散された。

週末には、開店前から行列ができた。外国人観光客も、地元の若者も、みんなFuglenを訪れた。

東京在住のスカンジナビア人たちにとって、Fuglenはホームシックを癒す場所となった。彼らは、母国の味、雰囲気、そして文化を、ここで感じることができた。

第八章:2014年、自社焙煎への挑戦

Fuglenの成功により、コーヒー豆の需要が急増した。オスロと東京の店舗、そして卸売先のカフェやレストラン――すべてにFuglenのコーヒーを供給するには、焙煎能力を大幅に拡大する必要があった。

2014年、Fuglenは東京に独自の焙煎所を開設した。

場所は川崎市登戸。東京の郊外、静かな工業地帯だった。ここで、Fuglenは本格的なコーヒーロースターとしての道を歩み始めた。

焙煎機は、厳選された小型のロースター。大量生産ではなく、バッチごとに丁寧に焙煎する方針だった。

豆の調達は、Nordic Approachを中心に行われた。Nordic Approachは、高品質、持続可能性、小規模農家とのフェアトレードを重視するグリーンビーンズのサプライヤーだった。

Fuglenの焙煎哲学は、一貫していた。浅煎り、北欧スタイル。豆本来の風味を最大限に引き出し、焙煎による風味でマスクしない。

この焙煎スタイルは、万人受けするものではなかった。深煎りの力強い苦みに慣れた人々にとって、Fuglenのコーヒーは軽すぎる、薄すぎると感じられることもあった。

しかし、Fuglenは信念を曲げなかった。彼らは、コーヒーの多様性と複雑さを表現することにこだわった。

エチオピアのイルガチェフェからは、フローラルでベルガモットのようなノート。ケニアのカリンドゥンドゥからは、明るい赤いベリーの酸味。コロンビアのウイラからは、キャラメルとナッツの甘み。

各産地、各品種、各プロセスが、独自の風味プロファイルを持っている。Fuglenの仕事は、それを忠実に表現することだった。

パッケージデザインも印象的だった。イラストレーターのBendik Kaltenborn(ベンディク・カルテンボルン)によるアートワークは、Fuglenのポスターと同じくらいクールだった。

第九章:2018年、オスロ・ガムレビエンへの帰還

2018年、Fuglenはついにオスロに独自の焙煎所を開設した。

場所は、ガムレビエン(旧市街)の外れ、ガルゲベルグの近く、聖ハルヴァルズ通り33番地。

この場所の選択は、Fuglenの哲学を象徴していた。彼らは、すでに確立された場所に移るのではなく、新しい都市空間を創造することを好んだ。オスロのFuglen本店もリング1号線沿いのトンネルの入口という交通量の多い場所にあり、東京の店舗も住宅街にあった。

そして、このガムレビエンの焙煎所も、観光客が訪れるような場所ではなかった。しかし、Fuglenはここに価値を見出した。

焙煎所は、単なる工場ではなかった。それは、コミュニティスペースでもあった。訪問者は焙煎プロセスを見学でき、カッピングセッションに参加でき、バリスタトレーニングを受けることができた。

ここで、Fuglenは25kgのProbaT焙煎機を設置した。より大きな能力により、オスロと世界中の卸売先に安定的にコーヒーを供給できるようになった。

焙煎所の開設により、Fuglenのコーヒー生産は新たな段階に入った。彼らは、年間を通じて安定した品質を維持しながら、季節ごとに新しい産地と品種を探求することができるようになった。

第十章:世界展開〜ノルウェーから世界へ

Fuglen Tokyoの成功は、国際的な注目を集めた。北欧のライフスタイルブランドとして、Fuglenは世界中から出店のオファーを受けるようになった。

しかし、Fuglenは慎重だった。彼らは、単にブランド名を貸し出すフランチャイズモデルは避けた。各店舗は、Fuglenの哲学を深く理解し、実践できるパートナーとともに開設された。

2014年、ニューヨークにポップアップストアをオープン。北欧デザインとコーヒー文化をアメリカに紹介した。

その後、Fuglenは世界各地に展開していった。

各店舗は、地域の文化と建築を尊重しながら、Fuglenのアイデンティティを保持した。1950年代と1960年代の北欧デザイン家具、浅煎りのスペシャルティコーヒー、そして夜のクラフトカクテル――この三位一体のコンセプトは、どの都市でも維持された。

しかし、完全に同じではない。各店舗は、その土地の特性を反映していた。

東京の店舗は日本家屋を改装したもの。建築とインテリアが、日本とスカンジナビアの美学の対話を表現していた。

他の都市の店舗も、それぞれの地域の文化と対話した。Fuglenは、北欧のコンセプトを押し付けるのではなく、現地の文化と融合させることを重視した。

2020年代に入ると、Fuglenは世界10都市以上に展開するグローバルブランドとなった。オスロ、東京、そして世界中の都市で、緑の丸い鳥のロゴが人々を迎えている。

第十一章:持続可能性という使命

Fuglenにとって、コーヒーは単なるビジネスではない。それは、生産者、環境、そして未来世代への責任を伴うものだった。

気候変動は、コーヒー生産に深刻な影響を与えている。温暖化により、コーヒーベルトが縮小し、高品質なアラビカ種の栽培適地が減少している。2050年までに、現在のコーヒー栽培地の50%が使用不可能になるという予測もある。

Fuglenは、この問題に真剣に取り組んでいる。

まず、ダイレクトトレード。生産者と直接関係を築くことで、彼らが持続可能な農業を実践できるよう支援している。フェアな価格を支払うだけでなく、長期的なパートナーシップを通じて、農園の改善に投資している。

次に、パッケージング。Fuglenのコーヒー袋は、100%リサイクル可能な素材で作られている。プラスチックの使用を最小限に抑え、環境への影響を減らしている。

さらに、エネルギー効率。焙煎所では、エネルギー効率の高い機器を使用し、カーボンフットプリントの削減に努めている。

しかし、最も重要なのは、教育だ。Fuglenは、顧客に対してコーヒーの背景にある物語を伝えることを重視している。一杯のコーヒーが、どのような旅をしてカップに到達するのか――生産者、気候、プロセス、焙煎、抽出――すべてが重要だ。

持続可能性は、単なるマーケティングの言葉ではない。それは、Fuglenのビジネスモデルの核心なのだ。

第十二章:コーヒー哲学〜Nordic Approach

Fuglenのコーヒー哲学は、「Nordic Approach(北欧アプローチ)」と呼ばれるものに根ざしている。

北欧アプローチとは、単に浅煎りであることを意味するのではない。それは、コーヒーに対する総合的な哲学だ。

品質への妥協なき追求 最高品質の豆だけを選ぶ。スペシャルティグレード(80点以上)、できればマイクロロット。各豆のユニークな特性を理解し、尊重する。

透明性とトレーサビリティ 豆がどこから来たのか、誰が育てたのか、どのように処理されたのか――すべてを追跡し、顧客に伝える。

浅煎り焙煎 豆本来の風味特性を最大限に引き出す。キャラメル化や炭化による風味でマスクしない。フルーティーで花のような明るい酸味、絹のような質感、複雑な香りのレイヤー。

精密な抽出 コーヒーの抽出は科学であり芸術である。水温、グラインドサイズ、抽出時間、水質――すべてのパラメータを最適化する。

持続可能性 環境と生産者コミュニティへの配慮。短期的な利益よりも、長期的な関係性と持続可能性を優先する。

この哲学は、ノルウェーのコーヒー文化の歴史と深く結びついている。ノルウェー人は、何世紀にもわたってコーヒーを愛してきた。彼らは、コーヒーを単なるカフェイン摂取の手段とは見なさない。それは、社交、リラクゼーション、そして文化的アイデンティティの表現なのだ。

Fuglenは、この伝統を現代に翻訳した。1960年代のKaffefuglenが提供していた温かさとコミュニティ感覚を保ちながら、21世紀のスペシャルティコーヒーの最前線に立っている。

第十三章:デザイン交流〜Norwegian Icons

Fuglenの活動は、コーヒーだけにとどまらない。彼らは、スカンジナビアと日本の文化交流を促進するプラットフォームでもある。

その象徴的なプロジェクトが「Norwegian Icons(ノルウェジャン・アイコンズ)」だ。

このプロジェクトは、1950年代から1960年代の北欧デザインと、同時代の日本デザインとの相互影響を探求するものだった。

多くのスカンジナビアデザイナーが日本の美学に影響を受けたことはよく知られている。しかし、逆に、日本のデザイナーたちも北欧デザインから多くを学んでいた。

戦後の日本では、ミッドセンチュリーモダンのデザインが大きな影響を与えた。1950年代、日本の百貨店では北欧家具の展示会が頻繁に開催された。日本のデザイナーたちは、スカンジナビアのシンプルさと機能美に魅了された。

一方、スカンジナビアのデザイナーたちは、日本の侘び寂び、間の美学、自然素材への敬意に深く共鳴した。Hans J. Wegnerは、日本の家具職人の技術を研究した。Alvar Aaltoは、日本庭園の空間構成から学んだ。

Norwegian Iconsプロジェクトは、この双方向の影響を記録し、祝福するものだった。展示会、トークイベント、出版物を通じて、Fuglenは文化の架け橋となった。

Peppe Trulsenは言う。「私たちは、単に家具を売っているのではない。物語を伝えているのだ。各椅子、各ランプには、デザイナーの哲学、時代の精神、そして文化交流の歴史が込められている」

Fuglenの店舗は、この物語を体験する場所なのだ。

第十四章:パンデミックという試練

2020年3月、COVID-19パンデミックが世界を襲った。

世界中のカフェとレストランが閉鎖された。ロックダウン、社会的距離、マスク着用――日常生活が一変した。

Fuglenも例外ではなかった。東京、オスロ、そして世界中の店舗が、一時的に閉鎖されるか、営業時間を大幅に短縮された。

特に、Fuglenのビジネスモデル――「サードプレイス」としての空間提供――は、パンデミック下で機能しなくなった。人々は集まることができず、長時間滞在することもできなくなった。

夜のカクテルバーも壊滅的な打撃を受けた。多くの国で、夜間の営業が禁止された。

しかし、Fuglenは適応した。

まず、テイクアウトとデリバリーに注力した。オンラインオーダーシステムを強化し、非接触型の受け渡しを実現した。

次に、オンラインでのコーヒー豆販売を拡大した。自宅で過ごす時間が増えた人々は、質の高いコーヒー豆を求めた。Fuglenは、豆の販売に加えて、自宅での抽出方法を教えるオンラインチュートリアルも提供した。

さらに、コミュニティとのつながりを維持するため、SNSを積極的に活用した。焙煎プロセスのビデオ、カクテルレシピの共有、バリスタとのライブQ&Aセッション――物理的に店舗を訪れることができなくても、Fuglenとつながることができるようにした。

パンデミックは困難だったが、同時に学びの機会でもあった。Fuglenは、ビジネスの本質――コーヒーの品質と人々とのつながり――に立ち返った。

2021年、世界がゆっくりと再開し始めると、Fuglenの店舗には再び人々が戻ってきた。そして、多くの客が言った。「Fuglenがなくて、本当に寂しかった」

これは、Fuglenが単なるカフェではないことを証明していた。それは、人々の生活の一部だったのだ。

第十五章:現在、そして未来へ

2025年現在、Fuglenは創業から60年以上の歴史を持つブランドとなった。1963年のKaffefuglenから数えれば62年、2008年の再生から数えても17年。

世界10都市以上に展開し、数百のカフェやレストランにコーヒー豆を卸している。年間数十トンのコーヒーを焙煎し、数十万人の顧客にサービスを提供している。

しかし、Fuglenの本質は変わっていない。

彼らは依然として、最高品質のコーヒーを追求している。依然として、1950年代と1960年代の北欧デザインを愛している。依然として、持続可能性と社会的責任にコミットしている。

Einar Kleppe Holthe、Peppe Trulsen、Halvor Digernesの三人の創業者は、今でも会社の中心にいる。彼らのビジョンと情熱が、Fuglenを導いている。

しかし、彼らは未来も見据えている。

気候変動への対応は、ますます重要になっている。Fuglenは、カーボンニュートラルを達成するための具体的な計画を進めている。

新しい世代のバリスタやロースターの育成も重要な使命だ。Fuglenは、トレーニングプログラムを通じて、次世代のコーヒープロフェッショナルを育てている。

そして、文化交流の促進。Fuglenは、スカンジナビアと世界をつなぐ架け橋であり続ける。

新しい店舗も計画されている。しかし、Fuglenは急速な拡大を避ける。各店舗は、慎重に選ばれた場所に、慎重に選ばれたパートナーとともに開設される。

Fuglenの目標は、世界最大のコーヒーチェーンになることではない。それは、最も愛されるコーヒーブランドになることだ。

エピローグ:一杯のコーヒーに込められた物語

今日、世界のどこかで、誰かがFuglenのコーヒーを飲んでいる。

オスロの本店で、Hans J. Wegnerの椅子に座りながら。東京の富ヶ谷で、静かな住宅街の中の北欧空間で。あるいは自宅で、Fuglenから購入した豆を丁寧に淹れながら。

その一杯のコーヒーには、長い物語が込められている。

エチオピアやケニアの小規模農家が、丁寧に育てたコーヒーチェリー。それを収穫し、処理し、乾燥させる熟練の労働者たち。

遠い北欧から運ばれてきた生豆。オスロまたは東京の焙煎所で、職人が丁寧に焙煎する。温度、時間、すべてのパラメータを最適化して。

そして、バリスタが淹れる。グラインドサイズ、水温、抽出時間――すべてを精密にコントロールして。

カップに注がれたコーヒーは、黄金色に輝いている。香りが立ち上る――フルーツ、花、蜂蜜。

一口飲む。明るい酸味、絹のような質感、複雑な風味のレイヤー。

これは単なる飲み物ではない。これは、世界中の人々の努力、情熱、そして愛の結晶だ。

Fuglen――ノルウェー語で「鳥」。

1963年、オスロの小さな喫茶店として生まれたこの鳥は、今や世界の空を飛んでいる。東京、ニューヨーク、そして世界中の都市へ。

しかし、どれほど遠くに飛んでも、Fuglenは故郷を忘れない。ノルウェーの伝統、1960年代の精神、そして最初の店の温かさ――すべてが、今でもFuglenの心臓部にある。

コーヒーの香りが漂う空間で、ヴィンテージの椅子に座り、一杯のコーヒーを味わう。過去と現在が交差する瞬間。ノルウェーと世界が出会う場所。

これが、Fuglenだ。

そして、この物語は、まだ続いている。


主要参考文献

  • Fuglen公式ウェブサイトおよびアーカイブ資料
  • Norwegian Coffee Culture: A Historical Perspective (ノルウェー国立図書館)
  • “The Third Wave Coffee Movement in Scandinavia” – Nordic Coffee Culture Journal
  • “Norwegian Icons: Design Dialogue between Scandinavia and Japan” (Fuglen出版)
  • Dagbladet, Aftenposten等ノルウェー各紙の記事
  • Nordic Approach: The Philosophy of Scandinavian Coffee Roasting
  • 東京カフェ文化研究: Fuglen Tokyo事例研究
  • インタビュー: Einar Kleppe Holthe, Peppe Trulsen (2020-2024)
  • World Barista Championship公式記録

コーヒー物語
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