緑の人魚が世界を変えた日〜スターバックス50年の物語

プロローグ:コーヒーという革命

今日、世界中のどこかで、誰かがスターバックスのカップを手にしている。緑の人魚、セイレーンのロゴが描かれた白いカップは、現代社会のアイコンとなった。

しかし、1971年、シアトルのパイクプレイス・マーケットに小さなコーヒー豆店が誕生したとき、誰がこの店が世界を変えると予想しただろうか。

これは、三人の理想主義者と一人のビジョナリーが、アメリカのコーヒー文化を、そして世界のライフスタイルを革命的に変えた物語である。

第一章:始まりの場所〜1971年、シアトルのパイクプレイス・マーケット

1971年3月30日。シアトルのパイクプレイス・マーケット2000番地に、一軒の小さな店がオープンした。店の看板には「Starbucks Coffee, Tea, and Spices」と書かれていた。

創業者は三人の友人だった。英語教師のジェリー・ボールドウィン、歴史教師のゼブ・シーグル、そして作家のゴードン・バウカー。彼らは、単なるビジネスマンではなく、理想を持った教養人だった。

三人は、カリフォルニアのピーツ・コーヒー&ティーの創業者、アルフレッド・ピーツから深煎りコーヒーの技術と哲学を学んだ。当時のアメリカでは、薄くて味気ないコーヒーが主流だった。スーパーマーケットで売られる大量生産の粉末コーヒーは、「コーヒー」とは名ばかりの茶色い液体に過ぎなかった。

ボールドウィン、シーグル、バウカーは違った。彼らは最高品質のアラビカ豆を仕入れ、店内で焙煎し、量り売りで販売した。店内では淹れたコーヒーは提供せず、豆と器具だけを売る専門店だった。

店名の「スターバックス」は、ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』に登場する一等航海士スターバック(Starbuck)から取られた。海洋冒険のロマンと、コーヒー貿易の航海への憧憬が込められていた。当初の候補名は「カーゴハウス(Cargo House)」や「ピークォッド(Pequod)」(白鯨に登場する捕鯨船の名前)だったが、最終的にスターバックスに決まった。

そして、あのロゴ。16世紀のノルウェーの木版画から着想を得た双尾の人魚、セイレーン。航海者を魅惑する神話上の生き物は、コーヒーの魅惑を象徴していた。初期のロゴは茶色で、セイレーンは裸体でかなり挑発的なデザインだった。

最初の一年間で、スターバックスの売上は約5万ドル。翌年には10万ドルを超えた。シアトルの人々は、この小さな店の高品質なコーヒーに魅了され始めていた。

第二章:拡大と葛藤〜1970年代から1980年代初頭

1970年代を通じて、スターバックスは着実に成長した。1976年には2号店、1977年には3号店をオープン。創業メンバーの一人、ゼブ・シーグルは早々に去ったが、ボールドウィンとバウカーは情熱を持って事業を続けた。

彼らのビジネスモデルは明確だった。最高品質の豆を仕入れ、完璧に焙煎し、コーヒーの教育を通じて顧客を育てる。利益よりも品質、規模よりも信念。それが彼らの哲学だった。

1981年、ハワード・シュルツという名の若い営業マンが、スターバックスに興味を持った。ニューヨークのハウスウェア会社で働いていた彼は、シアトルの小さなコーヒー店が、自社のドリップコーヒーメーカーを大量に注文していることに気づいた。

「なぜ、こんな小さな店がこれほど多くの器具を買うのか?」

好奇心に駆られたシュルツは、1981年にシアトルを訪れた。パイクプレイスの店に足を踏み入れた瞬間、彼の人生は変わった。

店内に漂うコーヒーの香り、壁に並ぶ美しい木製の棚、そして何より、コーヒーについて情熱的に語るスタッフたち。シュルツは感動した。彼は、この会社で働きたいとボールドウィンに懇願した。

一年後の1982年、シュルツはマーケティング・ディレクターとしてスターバックスに入社した。当時、スターバックスは4店舗を展開していた。

第三章:ミラノの啓示〜1983年、運命の旅

1983年春、シュルツはミラノで開催される国際家庭用品見本市に出張した。この旅が、スターバックスの、そして世界のコーヒー文化の転換点となる。

ミラノの街を歩いていたシュルツは、イタリアのエスプレッソバー文化に圧倒された。どの通りの角にもエスプレッソバーがあり、人々は朝食にカプチーノを飲み、昼休みにエスプレッソで一息つき、仕事帰りにバーで会話を楽しんでいた。

バリスタ(バーテンダー)は、客の名前を覚え、いつもの注文を把握し、まるで家族のように接していた。コーヒーは単なる飲み物ではなく、人と人をつなぐ社会的体験だった。

シュルツは啓示を受けた。「これだ!これこそが、アメリカに必要なものだ!」

彼は、スターバックスをエスプレッソバーに変えるべきだと確信した。家庭ではなく、店内でコーヒーを提供する。豆を売るだけでなく、体験を売る――これが新しいビジョンだった。

興奮してシアトルに戻ったシュルツは、ボールドウィンとバウカーに提案した。しかし、答えは「ノー」だった。

創業者たちは、豆の小売業者であることにプライドを持っていた。彼らは、レストラン業に手を出すつもりはなかった。「我々はコーヒー焙煎業者だ。飲食店経営者になりたいわけではない」

シュルツは失望したが、諦めなかった。彼は何度も提案し、説得を試みた。1984年、ボールドウィンはついに妥協案を出した。「一店舗だけ、試験的にエスプレッソバーを開いてもいい」

その年、シアトルのダウンタウンに最初のエスプレッソバーが誕生した。結果は予想以上だった。客は列をなし、エスプレッソとカプチーノは飛ぶように売れた。

しかし、創業者たちはまだ懐疑的だった。彼らは、これ以上の拡大に反対した。

第四章:イル・ジョルナーレ〜独立と挑戦

1985年、シュルツは重大な決断を下した。スターバックスを辞め、自分のエスプレッソバーチェーンを立ち上げることにしたのだ。

彼は新しい会社を「イル・ジョルナーレ(Il Giornale)」と名付けた。イタリア語で「日刊新聞」を意味する言葉だ。ミラノのバールで人々が新聞を読みながらエスプレッソを楽しむ光景から着想を得た。

しかし、資金調達は困難を極めた。シュルツは242人の投資家に会い、217人に断られた。多くの人は、彼のビジョンを理解できなかった。「イタリアンコーヒー?アメリカ人はコーヒーをカップ一杯50セントで飲むものだと思っているよ」

それでも、シュルツは諦めなかった。最終的に、彼は約170万ドルを調達した。

1986年4月、最初のイル・ジョルナーレがシアトルにオープンした。店内はイタリアンスタイルで、オペラ音楽が流れ、バリスタは蝶ネクタイを着用していた。メニューには、エスプレッソ、カプチーノ、カフェラテ、カフェモカがあった。

ビジネスは好調だった。一年以内に、シュルツは3店舗を展開した。

そして1987年3月、運命的な機会が訪れた。スターバックスの創業者たちが、会社を売却すると発表したのだ。ボールドウィンは、カリフォルニアのピーツ・コーヒーを買収しており、二つの会社を同時に経営することに疲れていた。

シュルツにとって、これは千載一遇のチャンスだった。彼は投資家たちを説得し、380万ドルで6店舗のスターバックスと焙煎工場を買収した。

1987年8月18日、イル・ジョルナーレとスターバックスは合併し、社名は「スターバックス・コーポレーション」となった。36歳のハワード・シュルツがCEOに就任した。

新生スターバックスは、11店舗、従業員100人から始まった。

第五章:野心の具現化〜全米展開への道

シュルツは、スターバックスを全米に展開するという壮大なビジョンを持っていた。しかし、それは容易な道ではなかった。

1988年、スターバックスは初めて慈善活動を開始した。地元のホームレス支援や識字率向上のための基金に寄付した。シュルツは、企業は利益を追求するだけでなく、社会的責任を果たすべきだと信じていた。

1989年、スターバックスは初めてシアトル外に進出した。ポートランドとシカゴに店舗をオープンした。この年、総店舗数は46店舗に達した。

しかし、急速な拡大には課題も多かった。品質管理、従業員の教育、サプライチェーンの構築――すべてが試行錯誤だった。

1991年、スターバックスは画期的な従業員福利厚生プログラムを導入した。パートタイムを含むすべての従業員にストックオプションを提供したのだ。従業員を「パートナー」と呼び、会社の成功を共有する――この理念は、スターバックス文化の核心となった。

従業員の定着率は業界平均を大きく上回り、サービスの質は向上した。顧客満足度も急上昇した。

1992年6月26日、スターバックスは株式を公開した。IPO時の株価は1株17ドル。初日の終値は21.50ドルに跳ね上がった。この時点で、スターバックスは165店舗を展開していた。

IPOで調達した資金により、スターバックスは加速度的に拡大した。1993年には東海岸に進出。ワシントンD.C.にも店舗をオープンした。1993年末には、総店舗数は275店舗に達した。

第六章:グローバル帝国への変貌〜1990年代後半

1996年、スターバックスは初めて国外に進出した。最初の海外店舗は東京・銀座にオープンした。日本の精緻な文化とスターバックスの品質へのこだわりは、見事に調和した。日本でのスターバックスは瞬く間に成功を収めた。

1998年には、イギリス、タイ、ニュージーランド、台湾、クウェートに進出。スターバックスは、真のグローバルブランドへと変貌していった。

この時期、スターバックスは単なるコーヒーチェーンを超えた存在になりつつあった。「サードプレイス(第三の場所)」という概念を打ち出した。家庭でもなく、職場でもない、人々が集い、つながり、リラックスできる場所――それがスターバックスだった。

店内デザインは洗練され、快適なソファ、温かい照明、静かなBGM。無料Wi-Fiは、スターバックスをノマドワーカーの聖地にした。

商品ラインナップも多様化した。フラペチーノ、季節限定ドリンク、フードメニュー。特に1995年に導入されたフラペチーノは、若い世代に爆発的な人気を博した。

1999年末、スターバックスの総店舗数は2,498店舗に達した。年間売上は16億8000万ドル。1971年の小さなコーヒー豆店は、わずか28年で巨大企業へと成長した。

第七章:過剰拡大の代償〜2000年代の試練

2000年代、スターバックスはさらなる拡大を続けた。2000年には3,501店舗、2005年には10,241店舗、2007年には15,011店舗。毎日平均5店舗が新たにオープンしていた計算になる。

しかし、急速な拡大は問題をもたらした。

店舗が増えすぎて、互いに顧客を奪い合う「カニバリゼーション(共食い)」が発生した。品質管理が追いつかず、一部の店舗ではコーヒーの品質が低下した。自動エスプレッソマシンの導入により、バリスタの技術は形骸化し、かつてのイタリアンバール的な人間味は失われつつあった。

2007年2月14日、シュルツは全店舗長に向けて内部メモを送った。通称「バレンタインデーメモ」。その中で彼は、スターバックスが魂を失いつつあると警鐘を鳴らした。

「我々のDNAの一部である伝統と遺産を薄めてしまった」とシュルツは書いた。このメモはメディアにリークされ、大きな話題となった。

2007年から2008年にかけて、スターバックスの株価は急落した。同店売上高は減少し、顧客満足度も低下した。競合他社――ダンキンドーナツ、マクドナルドの低価格コーヒー――が市場シェアを奪い始めた。

そして2008年、世界金融危機が襲った。

第八章:復活〜シュルツの帰還と再生

2008年1月7日、ハワード・シュルツはCEOに復帰した。2000年に退いていた彼が、危機に瀕した会社を救うために戻ってきたのだ。

シュルツの最初の行動は劇的だった。

2008年2月26日午後5時30分、全米7,100店舗を3時間半閉店し、13万5000人のバリスタに対してエスプレッソの淹れ方を再教育した。この「大閉店」は前代未聞の出来事で、メディアで大きく報道された。シュルツはメッセージを送った――「品質への回帰」。

次に、シュルツは大規模なリストラを断行した。2008年から2009年にかけて、600店舗以上を閉鎖し、数千人の従業員を解雇した。痛みを伴う決断だったが、生き残るためには必要だった。

同時に、イノベーションも推進した。

2008年、スターバックスカードの機能を拡張し、オンラインでのリロードを可能にした。これは後のモバイル決済へとつながる重要な一歩だった。

2009年、ロイヤルティプログラム「マイスターバックスリワード」を立ち上げた。頻繁に訪れる顧客に報酬を与え、エンゲージメントを高めた。

2011年、モバイルアプリをリリース。アプリ経由での注文と決済が可能になった。この「モバイルオーダー&ペイ」は革命的だった。客は行列に並ばずに商品を受け取れる。2015年までに、米国での取引の約20%がモバイルアプリ経由になった。

2013年、スターバックスはタンブラーやマグカップなどの商品開発にも注力し、店舗体験をさらに充実させた。

最も重要だったのは、企業文化への回帰だった。シュルツは、従業員を「パートナー」として尊重し、社会的責任を果たすという創業の理念を再強調した。

2013年、スターバックスは米国の退役軍人1万人を雇用すると発表した。2015年には、若者の雇用と教育支援のため、アリゾナ州立大学と提携し、従業員に学費全額支給の大学教育を提供するプログラムを開始した。

結果は目覚ましかった。2009年から2017年にかけて、スターバックスの株価は約10倍に上昇。売上も利益も過去最高を更新し続けた。

第九章:新たな挑戦〜2010年代後半から現在

2010年代後半、スターバックスは新たな挑戦に直面した。

2018年4月、フィラデルフィアの店舗で黒人男性2人が不当に逮捕される事件が発生した。人種差別への抗議が全米で高まり、スターバックスは厳しい批判を受けた。

シュルツの後を継いだCEOケビン・ジョンソンは、即座に謝罪した。そして5月29日、全米8,000店舗以上を一日閉店し、17万5000人の従業員に人種的偏見に関する研修を実施した。この決断は、企業の社会的責任への真剣なコミットメントを示した。

2020年、COVID-19パンデミックが世界を襲った。スターバックスは一時的に多くの店舗を閉鎖し、ドライブスルーとモバイルオーダーのみに制限した。

しかし、この危機は同時に機会でもあった。パンデミック中にモバイルオーダーの利用が急増し、デジタルトランスフォーメーションが加速した。非接触型サービス、ドライブスルー、宅配サービスが新たな標準となった。

2022年、ハワード・シュルツは3度目のCEO就任を果たした(暫定的なもので、2023年にラクシュマン・ナラシンハンにCEOを引き継いだ)。彼の復帰は、困難な時代におけるリーダーシップの象徴だった。

現在、スターバックスは80カ国以上に約38,000店舗を展開している。世界最大のコーヒーチェーンであり、年間売上は350億ドルを超える。

第十章:遺産と未来

2024年現在、スターバックスは単なるコーヒーチェーンではない。それは文化的現象であり、グローバルブランドであり、ライフスタイルの象徴である。

スターバックスは、アメリカのコーヒー文化を根本から変えた。1971年以前、アメリカ人の大多数は薄いドリップコーヒーしか知らなかった。エスプレッソ、カプチーノ、カフェラテ――これらの言葉は、スターバックスによって日常語彙に加わった。

スターバックスは、「カスタマイズ」という概念を普及させた。ミルクの種類(全脂肪、低脂肪、無脂肪、豆乳、アーモンドミルク、オーツミルク)、シロップのフレーバー、エスプレッショットの数、ホイップクリームの有無――顧客は自分だけのドリンクを作れる。

スターバックスは、コーヒー店を「場所」にした。単に飲み物を買う場所ではなく、くつろぎ、仕事をし、友人と会い、読書をする場所。サードプレイスという概念は、都市生活の一部となった。

そして何より、スターバックスは企業のあり方を変えた。従業員を「パートナー」として扱い、社会的責任を真剣に受け止め、持続可能性に投資する――これらの実践は、他の企業にも影響を与えた。

しかし、課題も残っている。

気候変動への対応。スターバックスは2030年までにカーボンニュートラルを達成すると宣言しているが、道のりは険しい。

倫理的調達。コーヒー豆の生産者に公正な価格を支払い、労働条件を改善する取り組みは継続的な挑戦である。

労働組合の問題。2020年代初頭、米国の複数の店舗で労働組合結成の動きが起こり、経営陣との緊張が生じている。

そして、競争。低価格チェーン、スペシャルティコーヒーショップ、コンビニコーヒー――あらゆる方向から競争圧力が高まっている。

エピローグ:緑の人魚の夢

2024年、世界のどこかで、誰かが初めてスターバックスのドアを開ける。店内に漂うコーヒーの香り、フレンドリーなバリスタの笑顔、心地よい音楽。

その人は、この体験が50年以上前、シアトルの小さなマーケットで始まったことを知らないかもしれない。三人の教師が、最高のコーヒー豆を売るために店を開いたこと。一人のビジョナリーが、ミラノでインスピレーションを受けて、アメリカにイタリアのコーヒー文化を持ち込んだこと。

ハワード・シュルツは言った。「私たちはコーヒービジネスをしている人間のつながりを提供しているのだ」

スターバックスの物語は、まだ続いている。新しいメニュー、新しいテクノロジー、新しい市場。しかし、核心は変わらない――人々に特別な体験を提供すること。

緑の人魚、セイレーンのロゴは、今日も世界中で輝いている。それは単なる企業のシンボルではない。それは、一杯のコーヒーが持つ力――人々を結びつけ、喜びをもたらし、日常を特別にする力――の象徴なのである。

1971年から2024年まで。パイクプレイスの小さな店から、世界38,000店舗へ。三人の友人の夢から、数十万人の従業員を抱える巨大企業へ。

これが、スターバックスの物語である。

そして、この物語の次の章は、まだ書かれていない。


主要参考文献

  • Howard Schultz & Dori Jones Yang, “Pour Your Heart Into It: How Starbucks Built a Company One Cup at a Time” (1997)
  • Howard Schultz & Joanne Gordon, “Onward: How Starbucks Fought for Its Life without Losing Its Soul” (2011)
  • Taylor Clark, “Starbucked: A Double Tall Tale of Caffeine, Commerce, and Culture” (2007)
  • Bryant Simon, “Everything but the Coffee: Learning about America from Starbucks” (2009)
  • Starbucks Corporation Annual Reports (various years)
  • 各種ビジネス誌・新聞記事

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