はじめに:発明か、発見か
「コーヒーは誰が発明したのか?」この質問には、実は正確な答えがありません。なぜなら、コーヒーは誰かが「発明」したものではなく、偶然に「発見」されたものだからです。
しかし、その発見の物語は、世界中で語り継がれる美しい伝説と、歴史的事実が入り混じった、魅惑的なストーリーです。本記事では、外国の文献を参考に、コーヒーの起源にまつわる複数の物語を紐解いていきます。
第一章:踊る山羊と羊飼いカルディの伝説(エチオピア起源説)
時は西暦850年頃。場所はエチオピア高原の古代コーヒー森林地帯。
カルディの運命の日
カルディという名のエチオピアの山羊飼いが、いつものように山羊の群れを連れて高原を歩いていました。カルディは真面目で、山羊たちのことをよく知る優秀な羊飼いでした。彼の山羊たちは、普段は「非の打ちどころのない」おとなしい性格でした。
しかしこの日、何かが違いました。
山羊たちが、ある木の赤い実を食べ始めると、突然様子が一変したのです。普段の穏やかな振る舞いは、跳ね回り、飛び跳ね、踊るような動きに取って代わられました。山羊たちはあまりにも元気になったため、その夜は眠ることさえできませんでした。
最初、カルディは山羊たちが何かに取り憑かれたのではないかと思いました。しかし調査の結果、山羊たちが見慣れない木の赤い実を食べていたことを発見しました。
冒険心が歴史を変えた瞬間
カルディは冒険心を感じ、自分でもその実を食べてみることにしました。数個食べた後、彼はエネルギーに満ち溢れ、長年抱えていた憂鬱な気分が消え去るのを感じました。
そして彼は山羊たちと一緒に踊り、飛び跳ね始めました。彼はアラビアで最も幸せな羊飼いになったのです!
修道院での出来事
この不思議な体験に興奮したカルディは、近くのスーフィー修道院の修道院長に知らせることにしました。
しかし、最初の反応は期待外れでした。修道士たちは、それが悪魔の仕業だと叫び、実を火の中に投げ込んでしまったのです。
ところが、運命は不思議なものです。
火の中で焙煎される豆から、天国のような香りが立ち上りました。その香りに引き寄せられ、修道士たちは慌てて炭化した豆を火から掻き出し、砕いて残り火を消そうとしました。
自分たちの過ちに気づいた修道士たちは、豆を壷に入れ、お湯を注いで保存することにしました。そして後に、この煮出した液体を飲んでみると、夜の祈りの時間中、目を覚ましていられることがわかったのです。
修道院長はこの発見を他の修道士たちと共有し、この活力を与える実についての知識が広まり始めました。
伝説か、真実か
しかし、この物語はおそらく作り話です。なぜなら、これが最初に語られたのは1671年、マロン派ローマ教授のアントワーヌ・ファウストゥス・ナイロンによってだからです。彼は東洋言語の教授であり、コーヒーに関する最初の印刷された論文の著者でした。
カルディと踊る山羊の神話は、西洋文学で最も頻繁に遭遇するコーヒー起源物語であり、スーフィー教徒がエチオピアでコーヒーと出会ったという信頼できる伝統を装飾したものです。
実際、遊牧民のオロモ族が最初にコーヒーの木とその活力を与える特性を発見した可能性が高いとする歴史家もいます。
それでも、この物語の美しさは色あせません。現代では、「カルディ・コーヒー」「踊る山羊」「さまよう山羊」は、世界中のコーヒーショップや焙煎会社の人気のある名前となっています。
第二章:スーフィー神秘主義者たちの物語(イエメン起源説)
エチオピアの伝説と並行して、もう一つの重要な物語がイエメンに存在します。そして興味深いことに、こちらの方が歴史的により信頼できる可能性があります。
物語その1:旅する神秘主義者
イエメンのスーフィー神秘主義者、ゴスル・アクバル・ヌールッディン・アブ・アル=ハサン・アル=シャーディリーが、おそらく精神的な理由でエチオピアを旅していました。
彼は、ブン植物(エチオピアでのコーヒーの木の呼び名)の実を食べていた元気な鳥たちを見かけました。旅で疲れていた彼は、自分でもその実を試してみることにしました。彼はそれらが自分を活気づけることを発見し、旅の途中や帰路でこのニュースを広めました。
物語その2:聖者オマールの奇跡
しかし、イエメンで最も有名なコーヒー起源の物語は、シェイク・オマールという男の物語です。
オマールは、尊敬されるスーフィー教師シャーディリーの弟子でした。彼は医師であり、聖職者でもありました。しかし、「道徳的違反」により、イエメンのモカの街から追放され、ウサブ山近くの砂漠の洞窟に追いやられました。
追放される前、師シャーディリーは彼に言いました。「私はこの場所で死ぬだろう。私の魂が去った後、ベールをかぶった人物があなたに現れるだろう。彼が与える命令を必ず実行しなさい」
師が亡くなった後、真夜中に白いベールをかぶった巨大な幻影が現れました。幻影はオマールに器に水を満たし、水が動かなくなる場所まで進むよう告げました。「そこで、偉大な運命があなたを待っている」
飢餓と発見
追放中、餓死寸前のオマールは、これまで見たことのない木に赤い実がなっているのを見つけました。
しかし、実は生で食べるには苦すぎました。苦味を取り除こうと、彼は実を火に投げ込みました。しかし、焙煎された実は硬くなり、噛むのに適していませんでした。
それらを柔らかくしようと、彼は焙煎した実を煮ることにしました。すると、良い香りがすることに気づき、豆を食べる代わりに煮出した液体を飲むことにしました。
その飲み物は彼を活気づけました。オマールはこの発見の知識を他の人々と共有し始めました。
聖者への帰還
やがてこのニュースはモカに届きました。追放は取り消され、オマールは街に帰還し、彼が発見した実を持ち帰るよう命じられました。
モカに戻ったオマールは、コーヒー豆と飲み物を他の人々と共有しました。人々は、それが様々な病気を「治す」ことを発見しました。やがて、彼らはコーヒーを奇跡の薬として、オマールを聖人として称えるようになりました。オマールの名誉のために、モカに修道院が建てられました。
歴史的信憑性
世界で最初のコーヒーが淹れられたのは、1400年頃、スーフィーのアリ・イブン・オマール・アル=シャーディリーによって、モカ港においてだったと信じられています。
歴史家ジョナサン・モリスは『コーヒー:グローバル・ヒストリー』の中で、アリ・イブン・オマール・アル=シャーディリーが、記録された歴史の中でコーヒーと関連付けられた最初の人物だったと述べています。
イエメン、モカ港で、スーフィーのアリ・イブン・オマール・アル=シャーディリーがコーヒー豆を焙煎し、世界で最初のコーヒーを淹れたとされています。これは約600年前、1400年頃のことでした。
第三章:スーフィー教徒とコーヒー文化の誕生
夜の祈りとコーヒー
イエメンの商人が最初にエチオピアからコーヒーの実をイエメンに持ち込み、後に栽培を始めました。
スーフィーの修道士たちは、瞑想と祈りの間、目を覚ましているのを助けるための刺激物としてコーヒーを消費しました。初期の歴史を書いたアブド・アル=カーディル・アル=ジャズィーリーによれば、「彼らは毎週月曜日と金曜日の夜にそれを飲み、赤い粘土で作られた大きな容器に入れました。彼らのリーダーは小さな柄杓でそれをすくい、右に回しながら彼らに飲ませ、彼らは通常の祈りの言葉を唱えました」
「アラビアのワイン」
イエメン人はこの貴重な飲み物を「カフワ」と呼びました。これはアラビア語でワインを意味します。イスラム教では飲酒が禁じられているため、「カフワ」はヨーロッパで「アラビアのワイン」として知られるようになりました。
14世紀に書かれたアリ・イブン・オマール・アル=シャーディリーのスーフィーの詩には、コーヒーへの愛が表現されています:
「あなたは私が目を覚まし続け、人々が眠っている間に神を崇拝するのを助けてくれる。私のコーヒーへの激しい愛を責めないでください。それは正義の人々の飲み物なのです」
世界への拡散
アブド・アル=カーディル・アル=ジャズィーリーの原稿は、コーヒーがイエメンからメッカとメディナを経由し、その後ダマスカス、バグダッド、カイロ、コンスタンティノープルという、当時の中東で最も重要な交易の中心地への広がりを記録しています。
1500年代までに、エジプト、シリア、イスタンブールでいくつかのコーヒーショップが開店し、飲み物とその文化をさらに広めました。
モカ港の重要性
何世紀もの間、この小さな都市は国際的に販売されるコーヒーの唯一の玄関口でした。オスマン帝国の支配者によって厳しく規制され、コーヒー豆は発芽を防ぐために最初に焙煎されなければイエメンを離れることが禁じられていました。
この飲み物はオスマン帝国の交易路を通じて急速にヨーロッパに広がり、チョコレートとの類似性からモカと名付けられました。
第四章:コーヒーの最初の消費方法
チューイングコーヒー
歴史家の多くは、カルディの発見以前の何世紀も前から、コーヒーが噛む刺激物の形で使用されていたと信じています。
コーヒー豆を挽いて動物の脂肪やギーと混ぜ、それをボール状に丸めて噛み、長い旅を支えるためのものだったと理論化されています。
これらの「コーヒーボール」は、カッファからハラール、そしてアラビアへと、エチオピアのガラ族からそれを学んだ奴隷にされたスーダン人を通じて伝わったと広く信じられています。
飲料としての進化
コーヒーが飲料として消費されるようになったのは、おそらく15世紀のことです。コーヒーを飲むことの最も初期の信頼できる証拠は、15世紀のイエメンのスーフィー修道院に遡ります。
この頃、焙煎と抽出の技術が洗練され、現代の私たちが知るコーヒーの形に近づいていきました。
第五章:真実は複数の物語の中に
伝説と歴史の狭間で
これらの物語のどれが真実なのでしょうか?答えは、おそらく「すべて、そしてどれでもない」です。
これら三つの物語すべては広く作り話として理解されています。なぜなら、コーヒーチェリーの発見と、豆の焙煎と抽出は、同じ日に起こったのではなく、長い期間にわたって起こったと考えられるからです。
ほとんどの人は、コーヒー栽培が9世紀頃に始まったと考えています。しかし、コーヒーがイエメンで栽培されるようになったのは早くも575年だと考える人もいます。
正確な日付に関係なく、エチオピア、イエメン、その他の近隣諸国の人々は、それが一般的な飲料になる何世紀も前から、野生のコーヒーの木の実と豆を噛んでいた可能性が高いです。
文化的意義
何千年もの間、コーヒーはその起源を超越して世界的な現象となり、様々な文化や社会に深く根付いてきました。
儀式、社会的集まり、さらには芸術、文学、科学研究の領域におけるコーヒーの役割は、単なる刺激的な飲み物を超えたその重要性を強調しています。
伝統的なエチオピアの儀式から現代のコーヒーショップまで、カルディと彼の踊る山羊の遺産は生き続けており、コーヒーの謙虚な始まりとその永続的な魅力を思い出させてくれます。
結論:発見の価値
コーヒーを「発明」した人は誰もいません。しかし、その発見の物語は、人類の好奇心と冒険心の美しい証です。
山羊飼いカルディであれ、聖者オマールであれ、名もないスーフィー修道士であれ、あるいは古代のオロモ族の人々であれ、最初にコーヒーの力を認識した人々は、世界を変える何かを発見したのです。
カルディの山羊たちは、自分たちが歴史を作っていることを知りませんでした。しかし彼らの物語は、インスピレーションが予期しない場所からやってくることを思い出させてくれます。
今日、私たちが一杯のコーヒーを飲むとき、その背後には千年以上の歴史と、数え切れないほどの人々の情熱があります。それは偶然の発見から始まり、今では世界中で年間約1兆杯のコーヒーが消費されています(計算すると、毎秒31,709杯が飲まれていることになります!)
コーヒーを「発明」した人は誰もいません。しかし、コーヒーを発見し、共有し、愛し、世界中に広めた無数の人々がいたのです。
そして、その物語は今も続いています。



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