カフェと喫茶店の違い、そして京都の喫茶文化

「カフェでお茶しない?」「喫茶店に寄ろうか」―私たちは日常的にこれらの言葉を使い分けていますが、その違いをはっきり説明できるでしょうか。特に、コーヒー文化の中心地である京都では、100年近い歴史を持つ喫茶店が今も現役で営業を続けており、その深い文化に触れることができます。今回は、カフェと喫茶店の違い、そして京都独特の喫茶文化の歴史について詳しく見ていきましょう。

カフェと喫茶店、法律上の違い

かつて日本では、カフェと喫茶店は明確に区別されていました。カフェは「飲食店営業許可」、喫茶店は「喫茶店営業許可」という異なる営業許可が必要だったのです。

飲食店営業許可(カフェ)

  • アルコールの提供が可能
  • 本格的な調理が認められる
  • トースト以外の加熱調理も可

喫茶店営業許可

  • アルコール提供は不可
  • 簡易な調理のみ(トースト、コーヒー、紅茶など)
  • サンドイッチなど加熱を伴わない軽食

しかし、2021年6月の食品衛生法改正により、喫茶店営業許可は廃止されました。現在はすべて「飲食店営業許可」に統一されており、法律上の区別はなくなっています。つまり、現在は店名が「カフェ」でも「喫茶店」でも、実際に取得している許可は同じということになります。

雰囲気とコンセプトの違い

法律上の区別がなくなった今、カフェと喫茶店の違いは主に「お店の雰囲気やコンセプト」によって決まります。

カフェの特徴

  • 明るく開放的な空間デザイン
  • 欧米文化を意識したモダンな内装
  • 現代的でカジュアルな雰囲気
  • 多様なメニュー(パスタなどの食事メニューも充実)
  • チェーン展開している店舗が多い
  • Wi-Fi完備など作業しやすい環境

喫茶店の特徴

  • 照明がほの暗く、落ち着いた雰囲気
  • アンティーク調の家具や昭和レトロなインテリア
  • しっとりとした大人の空間
  • 伝統的なメニュー(ナポリタン、ミックスサンドなど日本風洋食)
  • 個人経営の店舗が多い
  • じっくりコーヒーを味わう場所

興味深いことに、喫茶店という言葉から連想される「純粋にコーヒーを楽しむ店」という意味での「純喫茶」という呼び方も生まれました。これは後述する歴史的背景と深く関係しています。

カフェと喫茶店の意外な歴史

日本におけるカフェと喫茶店の歴史は、私たちの予想とは少し異なる順序で展開してきました。

日本初のカフェ:1888年「可否茶館」

実は、日本で先にできたのは「カフェ」でした。1888年(明治21年)、東京上野に鄭永慶(ていえいけい)が開店した「可否茶館」が日本初のカフェとされています。西洋文化を取り入れた文明開化の象徴的な施設で、コーヒーだけでなく、ビリヤードや書籍の閲覧ができる社交場としての役割を果たしていました。

1929年の取締令と「純喫茶」の誕生

大正時代になると、「カフェー」と呼ばれる店が都市部で急増しました。しかし、これらのカフェーは女給(ウェイトレス)が酒類を提供するサロンのような場所で、現在のカフェとは雰囲気が大きく異なるものでした。

そして1929年(昭和4年)、カフェーの風紀を取り締まるための取締令が施行されます。これにより、純粋にコーヒーを楽しむための店を「純喫茶」、お酒を提供する店を「カフェー」として区別するようになりました。ここから、日本独自の「喫茶店文化」が本格的に花開いていくことになります。

京都の喫茶文化:600年以上の歴史

京都の喫茶文化は、驚くほど古くから存在していました。

室町時代:茶店のはじまり

1403年(応永10年)に発行された『東寺百合文書』には、東寺南大門前に茶売り商人が店を出していたことが記されています。門前で商人が茶を淹れて参拝者に売る、このような茶店は当時「一服一銭」と呼ばれていました。この頃から、京都には喫茶を楽しむ文化の萌芽があったのです。

明治時代:ミルクホールとカフェーの登場

明治30年代(1897年〜1906年)に入ると、洋風の飲み物を提供する「ミルクホール」が京都市街地に登場し、やがて「カフェー」へと発展していきます。ただし、当時のカフェーは女給が酒類を提供するサロンのような場所で、現在の喫茶店やカフェとは雰囲気が異なるものでした。

昭和初期:京都喫茶店文化の黄金期

現在のような喫茶店が京都の街に本格的に登場したのは昭和初期です。この時期、京都には次々と伝説的な喫茶店が誕生しました。

1930年(昭和5年):進々堂 京大北門前 京都市内に現存する喫茶店として最も古いとされるのが「進々堂 京大北門前」です。創業者の続木斉氏は、1924年に日本人のパン職人として初めてフランスに渡り、2年余りパリを拠点にヨーロッパを巡ってパンの理論と実技を学びました。

帰国後の1930年、京都大学農学部の横に「ノートル・パン・コティディアン」(私たちの日々のパン)という名のフランス風カフェを開業します。パリのソルボンヌ大学付近、カルチエ・ラタンのカフェをお手本に、京都で初めての本格的フランス風喫茶店として誕生したのです。

続木氏は「日本の将来を担う愛する学生たちに、本当のパンらしいパンと、薫り高いコーヒーを提供したい」との願いを込めてこの店を開きました。現在も創業時の佇まいを残し、人間国宝となった木工作家・黒田辰秋が制作した長テーブルと長椅子が、レトロな雰囲気を醸し出しています。

1932年(昭和7年):スマート珈琲店 京都三条の寺町通アーケードの中に「スマートランチ」として創業。戦後「スマート珈琲店」に社名変更しました。スイスの山小屋をイメージした店内で、「気の利いたサービスができる店を目指したい」という意味を込めて「スマート」と名付けられました。自家焙煎オリジナル珈琲豆を使い、朝昼晩同じメニューを同じ味で提供するこだわりが特徴です。

1934年(昭和9年):フランソア喫茶室 西洋の街角のような外観、イタリアの豪華客船をイメージした内装が特徴の喫茶店。店名はフランスの画家フランソワ・ミレーにちなんで名付けられました。オーナーの立野正一氏と若い芸術家仲間が設計し、当時は反戦や前衛的な芸術を議論する場でもあったといいます。

開業当時は、蓄音器とクラシックのレコードを備えた「名曲喫茶」として有名でした。家庭で音楽を聴くのが難しい時代に、一流の音楽を楽しめる貴重な場所だったのです。店内にはモナ・リザなどの名画の複製が飾られ、クラシック音楽が流れています。2016年には喫茶店として初めて、国の登録有形文化財に指定されました。

1934年(昭和9年):築地 京都市内に現存する喫茶店として3番目に古い店で、「カフェ進々堂」「スマート珈琲店」「フランソア喫茶室」とともに、京都・四条エリアの4大クラシカル喫茶として今も生き続けています。三代目である現店主の祖父(初代)が演劇好きで、日本初の新劇の常設劇場「築地小劇場」から名前をいただいたそうです。存在感のある赤い布張りの椅子は、初代がデザインしたもの。ホイップクリームをのせた「ウインナー珈琲」は、この店が発祥といわれています。

1948年(昭和23年):喫茶ソワレ 昭和を代表する伝説的な喫茶店が「喫茶ソワレ」です。店名の「ソワレ」はフランス語で「夜会」「素敵な夜」を意味しており、その名の通り青い照明に包まれた幻想的な空間が特徴です。

この特徴的な青い照明は、創業者の友人で染色研究家の上村六郎氏からの助言によるものでした。「青い光は、女性が美しく見え、男性は若々しく見えるから、店の明かりに使ってはどうか」というアドバイスを受けて、開業時から青い照明を使用しています。このため1階奥の座席は、お見合いの場として使われていたこともあったそうです。

建物の内外装や調度品の木彫刻は、創業者の友人だった彫刻家で日展作家の池野禎春が手掛けました。池野は当時珍しかったフランス留学の経験を活かして、フランスの田舎の教会をモチーフに外装や内装を計画しました。ヨーロッパで豊穣の象徴とされたブドウ、裏表まで精巧に彫られた向日葵、ギリシャ神話の「牧神パン」やワインの神様「バッカス」も彫られています。

店内には昭和を代表する美人画の巨匠・東郷青児の作品が飾られており、青い光の中で浮かび上がる美人画は幻想的な雰囲気を醸し出しています。名物は5色のカラフルなゼリーが入った「ゼリーポンチ」で、2025年には誕生から50年を迎えます。青い照明に照らされたゼリーポンチは宝石のように輝き、訪れる人々を魅了し続けています。

特筆すべきは、開店当時からBGMを流さないことを特徴にしていること。静寂の中、青い光に包まれながら過ごす時間は、まさに「夜会」の名にふさわしい特別な体験となっています。

1950年(昭和25年):六曜社珈琲店 六曜社珈琲店の歴史は、創業者の奥野実が旧満州で開いた屋台コーヒー店に始まります。帰国後、「コニーアイランド」として開業し、屋号を変えて繁華街に移転。以来70年以上が経ちます。

学生運動の時代には、「東の風月堂、西の六曜社」と称され、反体制の若者の熱気に満ちていました。その中には、若き日のフォークシンガー・高田渡や、『二十歳の原点』で知られる高野悦子らの姿もあり、全国に知られる名店となっていきました。

2代目の奥野修さんが地下で自家焙煎コーヒー店を始めたのは1986年のこと。東京・山谷の『カフェ・バッハ』との出会いで自らの目指す方向を確信したといいます。自家焙煎店のあるべき姿を体現した奥野さんの薫陶を受けた焙煎士たちが今、京都の新たなコーヒー文化を切り拓いています。

なぜ京都に喫茶店が多いのか

現在、京都には2,000軒余りの喫茶店やカフェがあり、この数は全国的に見ても非常に多いといえます。その理由はいくつか考えられます。

1. 古くからの喫茶文化 室町時代から続く茶店の文化、そして昭和初期に花開いた喫茶店文化が、京都の人々のDNAに深く刻まれています。

2. 大学都市としての特性 京都は日本有数の大学都市です。大学や商店が多く、学生や教授が集まり、議論や情報交換をする場として喫茶店が適していました。進々堂が「京大第二の図書室」と呼ばれたように、喫茶店は学びの場でもあったのです。

総務省統計局の家計調査によると、京都市はコーヒーとパンの年間消費量が全国第1位です。これも、学生や教授がカフェに集まりコーヒーを飲む文化が根付いたことが一因と考えられています。

3. 戦災を免れた街 京都は第二次世界大戦でほとんど空襲の被害を受けていません。そのため、戦前からの喫茶店がそのまま残っているケースが多いのです。昭和初期の建物や内装をそのまま保存できたことが、現在の豊かな喫茶文化につながっています。

4. 文化人の集いの場 京都の喫茶店は、画家、彫刻家、作家、音楽家など多くの文化人が集う場所でした。喫茶ソワレの東郷青児、進々堂の黒田辰秋など、一流の芸術家たちが喫茶店づくりに関わり、単なる飲食店を超えた文化の発信地となっていきました。

京都の喫茶店が守り続けるもの

京都の老舗喫茶店には、いくつかの共通した特徴があります。

変わらない味とスタイル 多くの店が創業時のレシピや内装を守り続けています。スマート珈琲店のように「朝昼晩同じメニューを同じ味で提供する」ことをこだわりとする店もあります。

静かな空間 フランソア喫茶室や喫茶ソワレのように、BGMを流さない店も少なくありません。静寂の中でコーヒーを味わい、思索にふける。そんな贅沢な時間を提供しています。

手仕事へのこだわり 自家焙煎のコーヒー豆、手作りのフードメニュー、職人による家具や調度品。大量生産の時代にあっても、手仕事の温もりを大切にしています。

地域との共生 チェーン店とは異なり、個人経営の喫茶店は地域のコミュニティの一部です。常連客との会話、学生の勉強の場、商談の場として、地域に根ざした存在であり続けています。

現代におけるカフェと喫茶店の共存

2021年の法改正により、法律上の区別はなくなりましたが、カフェと喫茶店はそれぞれの個性を活かして共存しています。

現代的なカフェ

  • サードウェーブコーヒーの専門店
  • ラテアートやエスプレッソ文化
  • Wi-Fi環境やコンセント完備
  • SNS映えする空間デザイン
  • 多様な働き方に対応

伝統的な喫茶店

  • 昭和レトロな雰囲気
  • じっくり時間をかけて淹れるコーヒー
  • 変わらない味とスタイル
  • 静寂と落ち着きの空間
  • 歴史と物語のある場所

どちらが良い悪いということではなく、その日の気分や目的に応じて選べる豊かさこそが、現代の喫茶文化の魅力といえるでしょう。

まとめ

カフェと喫茶店の違いは、かつては法律によって明確に区別されていましたが、現在は主に雰囲気やコンセプトの違いとなっています。京都には室町時代から続く喫茶の文化があり、昭和初期に花開いた喫茶店文化は、戦災を免れたことで今も色濃く残っています。

進々堂、スマート珈琲店、フランソア喫茶室、築地、喫茶ソワレ、六曜社珈琲店―これらの名店は単なる飲食店ではなく、京都の歴史と文化を体現する「生きた文化財」といえます。青い照明に包まれた幻想的な空間、創業時から変わらぬ家具やメニュー、静寂の中で味わう一杯のコーヒー。そこには、大量生産・大量消費の時代に失われがちな、ゆっくりとした時間の流れと人間的な温もりがあります。

現在、京都には2,000軒以上の喫茶店とカフェが共存しています。古き良き喫茶店文化を守りながら、新しいカフェ文化も取り入れていく。その両立こそが、京都の喫茶文化の豊かさの源泉なのかもしれません。

京都を訪れる際には、ぜひ時間をかけて喫茶店巡りをしてみてください。一杯のコーヒーの向こうに、100年近い歴史と、多くの人々の物語が見えてくるはずです。明るく開放的なカフェで仕事をするのもよし、昭和レトロな喫茶店で静かに読書を楽しむのもよし。その選択肢の豊かさこそが、現代の京都が誇る喫茶文化なのです。

喫茶店
シェアする

コメント

タイトルとURLをコピーしました