「喫茶店はサードプレイスです」——そう言われることが増えました。 家庭でも職場でもない、第三の居心地のよい空間。 確かにその表現には説得力があります。最近京都のカフェや喫茶店でコーヒーを飲み歩く中で、私は次第に違う感覚を持つようになりました。 喫茶店とは“第三の場所”ではなく、“居場所そのもの”なのではないかと。
「行く場所」ではなく「戻る場所」
私にとって喫茶店は、“出かける”場所ではありません。 どこかに帰ってくるような安心感があります。
サードプレイスという言葉には「社会の中の一時的な避難所」という響きがあります。 でも喫茶店はもっと静かで、もっと深く、人の生活の一部に溶け込んでいます。 そこにあるのは逃避ではなく、自分を取り戻す時間です。
マスターとの距離感がつくる「呼吸」
私が好きなのは、マスターとお客とのあいだに流れる独特の距離感です。 必要以上に踏み込まない、でも必要なときにはそっと声をかけてくれる。 言葉よりも表情で通じるような関係。 それはまるで、長年付き合った家族や古い友人のようで、言葉がなくても居心地がいい。 この呼吸のような関係性こそが、喫茶店の“居場所”たる所以だと思うのです。
「居場所」という言葉のやさしさ
「サードプレイス」という言葉は便利ですが、どこか他人行儀に聞こえます。 一方、「居場所」という言葉には、あたたかさがあります。 誰に見せるでもなく、何かを成し遂げるでもなく、ただ“いていい”と思える場所。 喫茶店は、そんな時間を静かに守ってくれる空間です。
コーヒーがくれる、沈黙の安心
コーヒーを飲む間、私は特別なことを考えているわけではありません。 ただ湯気を見つめ、音を聞き、香りを感じる。 その短い沈黙の中で、心が少しずつ整っていくのを感じます。 喫茶店とは、コーヒーを介して自分と向き合う場所なのです。
だから私は、喫茶店を“サードプレイス”とは呼びません。 それは、いつでも戻ることのできる“居場所”なのですから。



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