ディッティング(ditting)社の軌跡 自動車から生まれたスイスのグラインダー伝説

プロローグ:何十年も壊れない機械

2021年6月、アメリカのコーヒー業界に一つのニュースが流れた。

「ディッティングUSA、53年の歴史に幕」

創業者アルバート・ベズジアンが引退を決意し、ディッティングUSAは閉鎖。親会社のヘムログループが直接アメリカ事業を引き継ぐことになった。ベズジアンがディッティングと関わり始めたのは1968年。実に53年間、彼はアメリカでディッティンググラインダーの普及と技術サポートに尽力してきた。

しかし、このニュースで最も注目すべきは、別の事実だった。

世界中のロースタリー、カフェ、食料品店で、数十年前に購入されたディッティンググラインダーが、今も完璧に動作し続けているという事実。ある店では、40年以上前の機械が毎日何キロものコーヒーを挽き続けている。

「ディッティングは何十年も壊れない」──これは、コーヒー業界で知られた事実だ。

しかし、なぜスイスのこの会社は、そこまで耐久性のある機械を作れるのか?その物語は、1928年、自動車産業から始まった。

第一章:1928年、チューリッヒの自動車工場

時は1928年。スイス、チューリッヒ。

ディッティング社は、自動車産業向けのエンジニアリング会社として創業した。電動モーター、精密部品、そして自動車ボディの製造。スイスの精密工学の伝統を受け継ぐ、小さな工場だった。

創業者たちは知っていた。スイス製造業の強みは、精密さと耐久性にあることを。時計産業で培われた技術、妥協のない品質管理、そして「一生使える製品を作る」という哲学。

しかし、1920年代後半から1930年代にかけて、世界は大恐慌に見舞われた。自動車産業も打撃を受けた。ディッティングは、新しい道を探す必要があった。

そして26年後、運命の転換点が訪れる。

第二章:1954年、コーヒーとの出会い

1954年。ディッティングは重大な決断を下した。

コーヒーグラインダー製造への転換だ。

当時、ヨーロッパではコーヒー文化が急速に広がっていた。カフェが街角に次々とオープンし、家庭でもコーヒーを飲む習慣が浸透し始めていた。そして、重要なのは「挽きたてのコーヒー」への需要が高まっていたことだ。

しかし、当時の多くのグラインダーには問題があった。不均一な挽き目。すぐに壊れる部品。熱による風味の劣化。

ディッティングのエンジニアたちは考えた。「自動車部品を作る精密技術を、コーヒーグラインダーに応用できないか?」

答えは、イエスだった。

彼らが開発したのは、従来のグラインダーとはまったく異なるものだった。特別に設計された研磨ディスク(バー)。高トルクモーター。冷却システム。そして、何十年も壊れない堅牢な構造。

最初の数年間は苦労した。市場は懐疑的だった。「自動車メーカーがコーヒーグラインダー?」しかし、実際に使用した人々は驚いた。

これまで経験したことがない、均一な挽き目。美しい風味。そして、何年経っても壊れない信頼性。

口コミは広がった。ロースタリーから、食料品店へ。カフェから、家庭へ。

第三章:140mmバーという革新

ディッティングが業界標準となった理由の一つが、独自のバー設計だった。

特別に開発された140mmフラットバー。この大きなバーが、ディッティングの特徴的な挽き性能を生み出していた。

なぜ大きなバーが重要なのか?

大きなバーは、より低速で回転できる。低速回転は、摩擦熱の発生を最小限に抑える。熱は、コーヒーの繊細な風味を損なう最大の敵だ。揮発性のアロマ化合物は、熱によって簡単に失われる。

ディッティングのバーは、コーヒー豆を「切る」のではなく、「砕く」ように設計されている。この方法により、粒子サイズが驚くほど均一になる。

均一な粒子サイズは、均一な抽出を意味する。過抽出と未抽出が同時に起こることを防ぐ。結果として、カップの中で、コーヒーの本来の風味が輝く。

カッピングルーム、スペシャルティコーヒーショップ、ロースタリー──プロフェッショナルたちは、この違いをすぐに認識した。

「ディッティングで挽いたコーヒーには、独特の重厚なボディとシロップのような甘さがある」

これが、ディッティングの特徴的なフレーバープロファイルとして知られるようになった。

第四章:807という伝説

1970年代、ディッティングは一つのモデルを発表する。これが、後に伝説となる「807」だ。

807は、ディッティングのフラッグシップではない。最大でもなく、最も強力でもない。しかし、最も愛されているモデルだ。

なぜ807が特別なのか?

多用途性。トルコ式コーヒーの極細挽きから、コールドブリュー用の粗挽きまで、すべてに対応。バッチブリュー、フィルターコーヒー、エスプレッソ、カッピング──どの用途にも完璧に機能する。

シンプルさ。複雑な電子制御ではなく、直感的な操作。ステップレス調整により、無限の挽き目設定が可能。

耐久性。40年以上前の807が、今も現役で稼働している。

そして、美しさ。半光沢の黒「ディッティングカラー」にアルミニウムアクセサリー。レッド、ホワイト、ブラウンベージュのカスタムカラーも選択可能。

807は、ロースタリーの象徴となった。店の中心に据えられ、顧客に「ここは品質にこだわっている」というメッセージを発信する。

第五章:ヘムログループという家族

2000年代、ディッティングに重要な変化が訪れた。

ヘムログループの一員となったのだ。

ヘムログループは、コーヒーグラインダー業界の巨人だ。傘下には、もう一つの有名ブランド「マールケーニッヒ」もある。1924年創業のマールケーニッヒは、オンデマンド挽きシステムで知られる革新的なブランドだ。

「ディッティングとマールケーニッヒが同じグループ?ライバルではないのか?」

答えは、ノーだ。彼らは競合ではなく、補完関係にある。

マールケーニッヒは、エスプレッソグラインダー、オンデマンド挽き、家庭用から商業用まで幅広いラインナップで知られる。一方、ディッティングは、大容量商業用、バッチグラインディング、ロースタリーとリテール向けに特化している。

ヘムログループの戦略は明確だ。「それぞれのブランドの強みを活かし、異なる市場ニーズに応える」。

そして、重要なのは、ディッティングの哲学が変わらなかったことだ。スイスの精密工学。何十年も壊れない耐久性。均一な粒子サイズ。

今日、ディッティンググラインダーは70カ国以上で販売されている。世界中の有名なコーヒーマシンメーカーが、ディッティングのバーとビルトイングラインダーコンポーネントを使用している。

裏方として、世界のコーヒー市場を支えている。

第六章:職人たちの証言

世界中のコーヒープロフェッショナルが、ディッティングを選ぶ理由は何か?

ロースター、マイク(アメリカ・オレゴン州):

「私たちのロースタリーには、1980年代の807がある。40年以上、毎日何キロものコーヒーを挽き続けている。メンテナンスは定期的なクリーニングとバーの交換だけ。それでも、今日挽いたコーヒーは、40年前と同じ品質だ」。

カフェオーナー、サラ(オーストラリア・メルボルン):

「ディッティングを選んだ理由?シンプルだよ。壊れないから。私たちの店は週7日営業、1日100人以上のお客さんが来る。グラインダーが止まったら、ビジネスが止まる。ディッティングなら、その心配がない」。

Qグレーダー、ヒロシ(日本・東京):

「カッピングでディッティングを使う理由は、一貫性だ。コーヒーを正確に評価するには、挽き目が毎回同じでなければならない。ディッティングは、それを保証してくれる」。

スペシャルティコーヒーショップ、エマ(イギリス・ロンドン):

「ディッティングで挽いたコーヒーには、特別な何かがある。重厚なボディ、シロップのような甘さ──顧客はそれを感じ取る。『このコーヒー、他と違う』って言われる。それが、ディッティングの魔法だ」。

第七章:多用途という強み

ディッティングが「スイスアーミーナイフ」と呼ばれる理由は、その多用途性にある。

リテールバッググラインディング: コーヒーショップで、顧客が選んだ豆を袋に直接挽く。807の高容量設計により、迅速かつ正確に対応。

バッチブリュー: 大量のフィルターコーヒーを準備するロースタリー、カフェに最適。均一な粒子サイズが、大量抽出でも一貫した品質を保証。

シングルドーズポアオーバー: スペシャルティコーヒーショップで、一杯ずつ丁寧に淹れる。精密な挽き目調整が、豆の個性を最大限に引き出す。

カッピングルーム: ロースターやQグレーダーが、コーヒーの品質を評価する。再現性と一貫性が、正確な評価を可能にする。

産業規模バッチグラインディング: KR 1403などの大型モデルは、1kgを30秒で挽く。3相電源対応。大規模生産施設に最適。

一台で、すべてをカバーする。これが、ディッティングが「エキスパートの多目的ツール」と呼ばれる理由だ。

第八章:冷却という哲学

ディッティングのもう一つの重要な特徴が、冷却システムだ。

コーヒーグラインダーの最大の敵は、熱だ。摩擦により発生する熱は、コーヒーの繊細な風味を破壊する。特に、揮発性アロマ化合物は熱に敏感だ。

ディッティングのバーは、特別な設計により、熱の発生を最小限に抑える。

大きなバー(140mm)により、低速回転が可能。低速回転は、摩擦熱を減らす。さらに、バーの材質と形状が、熱の放散を促進する。

結果として、ディッティングで挽かれたコーヒーは、常に冷たい状態を保つ。アロマは保護され、風味は損なわれない。

顧客は、焦げた、苦い味に驚かされることはない。代わりに、コーヒー本来のクリーンで明るい風味を体験する。

第九章:ゼロリテンションという技術

最近のディッティングモデルには、ゼロリテンション技術が搭載されている。

リテンション(残留)とは、グラインダー内に残る挽いたコーヒーのことだ。多くのグラインダーでは、前のバッチの一部が次のバッチに混ざる。これは、風味の混在、鮮度の低下を引き起こす。

ディッティングのゼロリテンション設計は、この問題を解決する。

取り外し可能なスパウト。中央に配置されたクリーンなコーヒー出口。高品質なバッグクランピングレバーとノッカーユニット。これらすべてが、スライド上の残留を最小限に抑える。

すべての豆が、無駄なく、効率的に抽出される。鮮度は最大限に保たれる。

第十章:2025年、そして100年へ

2025年。ディッティングは創立97年を迎えた。

1928年の自動車工場から、1954年のコーヒーグラインダーへの転換。そして今、世界70カ国以上で愛されるブランドへ。

しかし、ディッティングの本質は変わっていない。

スイスの精密工学。何十年も壊れない耐久性。均一な粒子サイズ。冷却システム。そして、コーヒーの風味を最大限に引き出すという使命。

2021年、アルバート・ベズジアンは53年間の活動を終えて引退した。しかし、彼が普及させたディッティンググラインダーは、アメリカ中のロースタリーとカフェで、今日も稼働し続けている。

ヘムログループの直接運営により、アメリカ市場でのサポートはさらに強化された。Prima Coffee Equipmentなどのパートナーが、新しい世代のコーヒープロフェッショナルにディッティングを届けている。

世界中で、毎日何百万杯ものコーヒーが、ディッティングによって挽かれている。カフェで。ロースタリーで。食料品店で。カッピングルームで。

そして、多くの場合、人々はそれに気づかない。なぜなら、ディッティングは裏方だからだ。目立たず、静かに、完璧に機能する。

エピローグ:一杯のコーヒーに込められた97年

あなたが次にスペシャルティコーヒーショップを訪れたとき、少し周りを見渡してみてほしい。

カウンターの後ろ、あるいは店の中央に、半光沢の黒い機械があるかもしれない。「Ditting」と書かれた、美しいグラインダーだ。

その機械の中には、97年の歴史が込められている。

1928年、チューリッヒの自動車工場で始まった精密工学の伝統。1954年、コーヒーグラインダーへの大胆な転換。特別に設計された140mmバー。冷却システム。ゼロリテンション技術。

そして、何よりも、「何十年も壊れない機械を作る」というスイスの哲学。

あなたのカップに注がれたコーヒーは、その機械で挽かれたかもしれない。重厚なボディ、シロップのような甘さ、クリーンな風味──それは、ディッティングが生み出す特徴的なプロファイルだ。

ディッティングは、派手ではない。広告も少ない。SNSでバズることもない。

しかし、世界中のコーヒープロフェッショナルが知っている。

「最高のコーヒーを提供したいなら、ディッティングを選べ」と。

自動車から始まった会社が、今や世界中のコーヒー体験を支えている。それは、品質への妥協なき追求、耐久性への執念、そして何よりも、コーヒーへの敬意の物語だ。

チューリッヒからの贈り物は、今日も世界中で、完璧なコーヒーを生み出し続けている。


参考文献:

  • Ditting公式ウェブサイト
  • Daily Coffee News(Ditting USA閉鎖記事)
  • Prima Coffee Equipment
  • Pro Coffee Gear
  • Green Plantation
  • Majesty Coffee(Mahlkonig vs Ditting比較)
  • Kaapi Machines
  • Buna Coffee

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