プロローグ:1962年のVWマイクロバス
1972年から1982年の間、カリフォルニアとグアテマラを結ぶ長い道のりを、一台の1962年製フォルクスワーゲン・マイクロバスが走っていた。
運転席に座るのは、カール・ディードリッヒ。片道1,500マイル、往復3,000マイル(約4,800km)の旅を、年に4〜5回繰り返していた。カリフォルニアを出発し、メキシコを通過し、グアテマラのアンティグアにある自分の農園へ。そして、16袋の生豆(各154ポンド、約70kg)をバスに積み込んで帰路につく。
彼は、文字通り一人で完結した垂直統合ビジネスを営んでいた。コーヒーを栽培し、収穫し、輸入し、焙煎し、販売する。すべてを一人で。
しかし、カールが本当に革命的だったのは、彼が自分の手で作った焙煎機だった。グアテマラの農園の裏ポーチで、機械工学エンジニアとしての知識を活かして組み立てた、特別な装置。それは、誰も見たことがないものだった。
そして、その焙煎機の背後には、さらに深い物語があった。1916年から始まる、ディードリッヒ家とコーヒーの100年以上にわたる愛の物語が。
第一章:1916年、コスタリカの農園
物語は、第一次世界大戦の最中、1916年に始まる。
ドイツ生まれのシャーロット・ディードリッヒが、コスタリカのコーヒー農園を相続した。彼女は、ドイツからコスタリカへと旅し、コーヒーの栽培と焙煎について学んだ。その勤勉さは報われ、彼女の豊かなコーヒー豆は世界中に出荷されるようになった。
1930年代を通じて、シャーロットは農園を維持した。しかし、第二次世界大戦の混乱の中で、農園を失った。
それでも、シャーロットのコーヒーへの情熱は衰えなかった。彼女は技術を磨き続け、その野望を息子カールに託した。
カール・ディードリッヒは、母とは異なる道を歩んでいた。ドイツ軍の歩兵として徴兵され、戦後は成功した機械工学エンジニアになった。しかし1946年、彼は母のコーヒー事業に加わることを決意した。
1950年代初頭、カールはドイツに戻り、イン
ガ・ツァイツと結婚した。彼女の家族は、1800年代半ばからコーヒー商人を営んでいた。コーヒーの血統が、さらに深まった瞬間だった。
1964年、カールは世界中を旅し、コーヒービジネスについてさらに学んだ。そして1966年、運命的な決断を下す。パートナーと共に、グアテマラのアンティグアに45エーカーのコーヒー農園を購入したのだ。
標高5,500フィート(約1,680m)、肥沃なグアテマラの土壌。彼らは、年間約400袋の濃厚なアラビカコーヒー豆を収穫した。
第二章:裏ポーチの発明
アンティグアでの6年間、カールは母が取引していた中米のコーヒー商人たちとビジネスを行った。そして、家の裏ポーチで、特別な装置を作り上げた。
会社の最初のコーヒー焙煎機。自分の手で設計し、自分の手で組み立てた。
カールの焙煎哲学は、当時としては異端だった。従来のコーヒー焙煎機は70年以上、ほとんど変わっていなかった。大気圧ガスバーナーを使用し、焙煎ドラムに熱を均等に分散できず、ホットスポットとコールドスポットが生じていた。また、焙煎ドラムを通る空気の流れを細かく制御することもできなかった。
カールは、違う方法を考えた。彼が栽培している最高品質のコーヒーを、カスタムロースト(豆の特性に合わせた焙煎)するために特別に設計された焙煎機。その設計は、今日では高品質コーヒーを焙煎する最良の方法として広く認められている。
しかし1972年、グアテマラの政治的混乱により、生活と仕事が困難になった。カールは農園を売却し、アメリカへグルメコーヒーを輸入することを決意した。
第三章:ニューポートビーチのガレージ
1972年。カールと家族は、1962年製フォルクスワーゲンバスに農園からの豆を詰め込み、グアテマラからカリフォルニア州ニューポートビーチへと北上した。
ガレージに卸売事業を立ち上げた。ディーラーにコーヒー豆を販売する。彼の豊かなコーヒーの評判は、口コミで広がった。3年以内に、より大きな場所に移転した。
しかし、仕事は厳しかった。収入は控えめだった。2ヶ月ごとに、フォルクスワーゲンバスでグアテマラへの2週間の旅に出なければならなかった。豆を手に入れるために。
カールの息子たちは、当初、父親のビジネスにほとんど興味を示さなかった。長男のマイケルは、ドイツで美容・化粧品を販売していた。ベルンハルトは、ワシントン州でUPSのキャリアを選んだ。ステファンとカール・ジュニアも、ディードリッヒ・コーヒーから離れていた。
唯一、息子のマーティンがビジネスに加わった。しかし、彼は最初は不幸で、カリフォルニアでの生活が好きではなかった。
第四章:コミュニティという発見
マーティン・ディードリッヒの不満は、ある発見につながった。
1985年、彼は父親を説得して、コーヒーハウスを開くことにした。「近所の人々を一緒に集める場所を作りたかった」。
最初のディードリッヒ・コーヒーハウスは大人気だった。翌年、2店舗目をオープン。マーティンは後にロサンゼルス・タイムズ・マガジンでこう語った。「後で気づいたんだ。私はオレンジカウンティで見つからなかった種類の場所を作っていた。それは、ここに自分の家を作りたいという私の願望の実現だった。同時に、コミュニティが私がやっていることを受け入れてくれた。二つが手袋のように一緒になった」。
やがてカール・ジュニアがビジネスに加わり、兄弟ステファンに航空業界でのキャリアを離れて、会社のコーヒー豆焙煎部門を管理するよう説得した。
ステファンの助けを得て、カールは、業界がこれまで見たことがないようなコーヒー焙煎機を作り始めた。
第五章:赤外線という革命
1980年。ステファン・ディードリッヒは、父カールの原型から、最初のプロトタイプ焙煎機をゼロから製作した。
彼の使命は明確だった。父のオリジナルモデルを完璧にすること。
ステファンが実現したのは、赤外線バーナー技術だった。
従来の大気圧ガスバーナーの代わりに、特許取得済みの赤外線バーナーを使用。科学的な熱交換器技術と組み合わせることで、焙煎環境の比類ない制御を実現した。これにより、ロースターは各豆の独特の風味を最大限に引き出すことができた。
赤外線バーナーシステムは、熱伝達効率を向上させ、燃料消費を最大30%削減しながら、精密な温度制御を維持した。これにより、豆を焦がすことなく、独特の風味ノートを捉えることができた。
特許取得済みの熱交換技術は、バッチ全体で複雑なフレーバープロファイルの一貫した発展のための安定した環境を作り出した。
ディードリッヒ・コーヒー・ローステッドは、急速に成長する米国のスペシャルティコーヒーロースターの間で、最も求められる焙煎機になった。
しかし、ステファンはそこで止まらなかった。1985年、彼は最初の産業用サイズの焙煎機を開発・販売し、コーヒー機器市場のまったく新しいセグメントに参入した。
第六章:カリフォルニアからアイダホへ
1993年。ステファンと妻のベッキーは、カリフォルニア州コスタメサの家族のガレージから始まったスタートアップを、次の段階へと進めることを決意した。
彼らは、北アイダホに移住した。ポンデレイの町に工場を設立。
アイダホ・パンハンドルの山々に囲まれた、人里離れた場所。しかし、ここから世界が変わることになる。
20年足らずで、ステファンとベッキーは、ディードリッヒ・マニュファクチャリング社を世界有数のコーヒー機器メーカーの一つへと導いた。
ディードリッヒは、小さな町の価値観で築かれた。今や有名なコーヒーロースターとなっている多くの顧客と同じように、謙虚な始まりから出発した。家族のガレージでのスタートアップから、世界的に有名なブランドへ。
ディードリッヒは、国内および世界中でコーヒー焙煎の芸術を高めた。
第七章:7,000人の顧客という家族
2016年。創業者ステファンとベッキー・ディードリッヒは、35年間の活動の後、引退を発表した。
シカゴを拠点とするプライベート投資パートナーシップ、シティ・キャピタル・ベンチャーズが、会社の過半数株式を取得。CEOのマイケル・パキンと彼のチームの下で、会社は独立して運営を続けることになった。
ステファン・ディードリッヒは声明で述べた。「私は、スペシャルティコーヒー業界を今日私たちが知っているものに発展させる上で、ディードリッヒが果たした役割を非常に誇りに思っている。ディードリッヒのように焙煎する焙煎機は、他に本当にない。人生の次の段階に入り、ディードリッヒの継続的な成功を見るのを楽しみにしている」。
2019年、30年のコーヒー・カカオ業界のベテラン、カール・シュミットが会社に加わった。新しいリーダーシップのもと、ディードリッヒはさらに進化を続けた。
元々ポンデレイのいくつかの建物に分散していた本社は、最先端の製造施設に統合された。そして今、世界60カ国以上、7,000人以上の顧客がディードリッヒを使用している。
第八章:「一度使ったら裏切らない」
インディアナ州クラウンポイントのスモールタウン・コーヒーのエリザベス・スティール。彼女がディードリッヒを選んだ理由はシンプルだった。
「時の試練に耐えたメーカーが欲しかった」。
ワシントン州チェニーのウェスト・プレインズ・ローステッドのアンディ・ラボール。彼は会社の本社に近いことも理由の一つだったが、何よりカスタマーサービスに感謝していた。
「彼らのカスタマーサービスは、とてつもない祝福だった。いつも私たちの質問や懸念に答えることに熱心だった」。
ワシントン州スポケーンのラダー・コーヒーのアーロン・リブキンは、ディードリッヒが期待以上のことをしてくれた経験を持っていた。
焙煎機を購入する余裕がなかったとき、ディードリッヒは彼にサンプル機器で焙煎することを許可し、購入資金が貯まるまで卸売注文を満たすことができた。
「彼らは、私たちが彼らに投資できるずっと前から、私たちに投資する意欲があることを示してくれた」。
そして彼は、機械の高品質が、最終結果──熱々のカップ──に直接反映されることを強調した。「これは、エンドユーザーにとってより良いカップのコーヒーを生み出す。それは本質的に、素晴らしいコーヒーの味を作るために一生懸命働いた農家と生産者を尊重することだ」。
顧客たちは口を揃えて言う。「手作り、頑丈、同時に非常にユニークでスペシャル。一度ディードリッヒを試したら、決して裏切ることはない。最高だ!」
第九章:マーティンの新しい夢
2004年6月。マーティン・ディードリッヒは、自分が設立したディードリッヒ・コーヒーのポジションを辞任した。
会社は上場企業となり、他のコーヒーチェーンを買収し、数百店舗、国際的地位を獲得していた。しかし、マーティンは違和感を抱いていた。
「投資家たちは理解していなかった。私はコーヒービジネスではなく、人々のビジネスをしているんだ」。
最初のショックと失望の後、マーティンは立ち直った。彼は気づいた。生涯コーヒーに囲まれ、ディードリッヒ・コーヒーに20年捧げた今、彼はコーヒーを完全に理解していた。
コーヒーを栽培し、原産地から調達できる。父の指導のもとでマスターロースターになった。コーヒーハウスを運営する芸術を発明し、完璧にした。
「結局、私には健康、幸福、そして素晴らしい家族の愛がある。私には技術、技能、一生懸命働き、犠牲を払い、自分自身を再構築する能力がある。そして、地元コミュニティと世界中のコーヒーコミュニティで良好な評判を保っている。お金では買えないすべてのものを持っている」。
2005年12月。マーティンと妻カレンは、ニューポートビーチに新しいコーヒーハウス「キーン・コーヒー」を開いた。一人息子のキーンにちなんで名付けられた。
最初にマーティンが両親カールとインガに加わった場所から、ほんの石を投げる距離。
そして、マーティンは2005年、スペシャルティコーヒー協会から生涯功績賞を受賞した。以前、スターバックス創業者ジェリー・ボールドウィン、アルフレッド・ピート、ジョージ・ハウエル、エルネスト・イリー博士など、ごく少数のコーヒー界の巨匠に授与された賞だった。
第十章:2024年、そして未来へ
2024年現在、ディードリッヒ・ローステッドは創立44年を迎えた。
アイダホ州ポンデレイの本社では、今も職人たちが一台一台、カスタムメイドの焙煎機を製作している。すべての焙煎機は厳格にテストされ、すべての機械で最高品質基準を満たしている。
IRシリーズ(店舗用ローステッド):IR-1(1kg)、IR-5(5kg)、IR-7(7kg)、IR-12(12kg) CRシリーズ(商業用焙煎システム):CR-35、CR-70、CR-140、そしてCR-300(300kg以上の容量)
すべてのモデルに、特許取得済みの赤外線バーナーと熱交換技術が採用されている。
環境に優しい技術は、香りや風味に影響を与えることなく、エネルギー使用量と排出量を削減する。品質コンポーネント、環境意識、スチュワードシップへのコミットメントが、環境への配慮の鍵だ。
ディードリッヒは、「グリーンからグラウンドまで」の世界的サポートを誇る。設置、メンテナンス、技術指導、完全な焙煎トレーニング。小規模バッチでも大規模バッチでも、基礎からプロフェッショナル、食品安全まで、包括的なトピックを通じてガイドする。
アイダホで製造された部品は、シカゴの倉庫に保管され、コストのかかる遅延を回避し、ダウンタイムを最小限に抑える。
エピローグ:VWバスの夢は続く
1972年。1962年製VWマイクロバスが、3,000マイルの道のりを走っていた。
カール・ディードリッヒは、16袋の豆を運んでいた。彼が自分の手で作った焙煎機で焙煎するために。彼が信じていた、新しい焙煎哲学のために。
2024年。その夢は、世界60カ国以上、7,000人以上の顧客へと広がった。
カールの裏ポーチで始まった発明は、息子ステファンによって完璧にされた。そして、孫の世代へと受け継がれた。マーティンは、キーン・コーヒーで父と祖父の遺産を継承している。年間25万ポンド以上のコーヒーを焙煎し、毎日行列ができる店を経営している。
ディードリッヒ製造会社は、世界トップ5のコーヒー焙煎機メーカーの一つとして認められている。2,500台以上のディードリッヒ焙煎機が、50カ国以上で稼働している。
あなたが次にコーヒーを飲むとき、それがディードリッヒで焙煎されたものなら、少し考えてみてほしい。
その一杯の背後には、1916年から続く家族の物語がある。コスタリカの農園から始まり、グアテマラのアンティグアを経て、カリフォルニアのガレージ、そしてアイダホの山々へ。
VWバスで豆を運んだ男。裏ポーチで焙煎機を作った男。赤外線技術で業界を変えた男。そして、コミュニティの重要性を教えた男。
それは、コーヒーへの愛だけではない。人々への愛、品質へのこだわり、そして何よりも、夢を諦めない粘り強さの物語だ。
ディードリッヒの焙煎機は、単なる機械ではない。それは、100年以上にわたる家族の情熱が形になったものだ。
アイダホの山々から、今日も新しい焙煎機が世界中に送り出されている。カールのVWバスが運んだ夢を乗せて。
参考文献:
- Diedrich Roasters公式ウェブサイト
- Edible Inland Northwest
- Kéan Coffee公式サイト
- Urnex(マーティン・ディードリッヒ インタビュー)
- Daily Coffee News
- Company Histories(ディードリッヒ・コーヒー社史)
- 各種コーヒー業界メディア



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