ドイツの名門プロバット社 灰の中から立ち上がった焙煎機の巨人

プロローグ:セルビアの納屋に眠る伝説

2016年、アメリカ・ワシントン州のコーヒー機器製作者トッド・ミラーは、コンピューターの画面を食い入るように見つめていた。セルビアの農家から送られてきた一枚の写真。納屋の中に、埃にまみれながらも威厳を失わない巨大な焙煎機が写っていた。

「これは本物なのか?詐欺ではないのか?」

長年、彼が夢見ていたものがそこにあった。ドイツの伝説的な焙煎機メーカー、プロバット社が19世紀末に製造した焙煎機だ。その重量は約5トン。ヨーロッパからアメリカへの輸送、そして1年以上に及ぶ復元作業を経て、この1896年製とされる焙煎機は再び息を吹き返した。まるで、プロバット社そのものの歴史を物語るかのように。

第一章:ライン川のほとりで生まれた夢

時は1868年。ドイツの小さな町エメリッヒ。オランダ国境に近いライン川沿いのこの町で、三人の男が出会った。

一人は、コーヒーの専門知識を持つ商人アレックス・ファン・ギュルペン。もう一人は同じくコーヒー業界で経験を積んだヨハン・ハインリヒ・レンシング。そして三人目が、優れた技術力を持つエンジニア、テオドール・フォン・ギムボルンだった。

彼らの野望は明確だった。「再現可能な高品質のコーヒーを、大量生産する」。それまでのコーヒー焙煎は、職人の勘と経験に頼る不安定なものだった。彼らが目指したのは、誰が操作しても同じ品質を実現できる、革新的な焙煎機械だった。

こうして「エメリッヒ機械製作所および鋳鉄工場」が誕生した。これが、後にプロバットとなる企業の始まりである。

第二章:エメリッヒ球形焙煎機の革命

1870年、彼らは最初の大きな成功を収める。「エメリッヒ球形焙煎機」の誕生だ。

この革新的な機械は、コーヒー業界に衝撃を与えた。顧客からの手紙には、「エメリッヒ製の機械で焙煎されたコーヒーしか購入しない」という言葉さえ届いた。均一で美しい焙煎が実現できる魔法のような機械。それは、コーヒーの大量生産時代の幕開けを告げるものだった。

さらに1884年、彼らは「カフェーシュネルレスター(急速コーヒー焙煎機)」の特許を取得する。回転ドラム式のこの設計は、現代に至るまでコーヒー焙煎の基本原理として受け継がれている。水平軸に沿って回転するドラム──このシンプルで革新的なアイデアが、業界標準となったのだ。

工場は拡大を続け、需要に追いつくために昼夜を問わず稼働した。特許記録を見れば、彼らがいかに多くの試行錯誤を重ねたかがわかる。失敗したアイデアも数知れない。様々なトライアー(サンプル抽出装置)の設計、熱遮蔽システム、電気加熱システム──多くは商業的成功を収めなかった。しかし改良された歯車システムや電動ベルト駆動装置は、確実に機械の性能を向上させていった。

第三章:戦争の影と「プロバット」の誕生

1916年、共同創設者の一人、テオドール・フォン・ギムボルンがこの世を去った。第一次世界大戦の最中だった。

戦争は容赦なくエメリッヒの町にも影を落とした。連合国の封鎖により、工場は戦時物資の生産を余儀なくされた。コーヒー焙煎機の生産は停滞し、多くの記録が戦乱の中で失われた。ライン川の対岸には占領軍が駐留し、敗戦国ドイツは混乱の渦中にあった。

それでも、工場は生き延びた。

1920年代の夜明けとともに、工場は再び活気を取り戻す。そしてこの時、重要な決断が下された。「プロバット」という名前を、機械に冠することにしたのだ。1921年頃のオランダでの広告材料には、すでにプロバットの名が刻まれている。

世界的な競争が激化する中、特にアメリカの製造業者からの圧力が高まっていた。プロバットは対抗するため、特許を買収し、新しいメカニズムを発明し、既存の設計を最新技術でアップグレードした。

そして1930年、彼らは大きな飛躍を遂げる。「プロバットGシリーズ」の登場だ。ドイツ語で「大きな」「偉大な」を意味する「groß(グロース)」から名付けられたこのシリーズは、プロバットの国際的地位を確固たるものとした。

第四章:廃墟からの復活

1944年10月。エメリッヒの空を爆撃機の轟音が覆った。

連合国軍の爆撃は、町をほぼ完全に破壊した。プロバットの工場も例外ではなかった。建物は瓦礫の山と化し、150年以上にわたる歴史と記録の多くが炎の中に消えた。

しかし、廃墟の中から一本の電話がかかってくる。長年の顧客からだった。「プロバットの焙煎機が必要だ」。

生き残った従業員たちは、何も残されていない中で立ち上がることを決意した。現在のCEOウィム・アビングはこう語る。「破壊的な戦争の後、何も残されていない中で人々が再出発し、事業を再開する姿を見るのは、いつも驚きだ」。

1949年、再建された工場の鋳造ホールで、最初の新しい鋳物が注がれた。新時代の始まりだった。

1950年代には、国際的な注文が国内注文を上回った。戦後のプロバットは、最高品質の焙煎機を作り続けた。GシリーズやUGシリーズは、これまでで最高の製品と称された。オーストラリアからアラスカまで、世界中にプロバットの焙煎機が届けられた。

廃墟からの復活──それは単なる企業の再建ではなかった。品質へのこだわり、エンジニアリングへの情熱、そして人間の回復力の証明だった。

第五章:技術革新の時代

プロバットは立ち止まらなかった。

1969年、業界初のタンジェンシャル焙煎機「ジュピター」を発表。この画期的な焙煎方式の効果と柔軟性は、今日に至るまで比類がない。幅広い焙煎時間に対応でき、頑丈な設計により、万能選手として活躍した。

1973年には、遠心式焙煎機「サターン」を世に送り出す。垂直軸に沿った回転運動と、焙煎ボウルとラミナーシールリングの組み合わせにより、豆を特に均質で優しく混ぜながら焙煎する技術は、世界で他に類を見ないものだった。

これらの革新の背景には、徹底的な研究開発があった。2012年、プロバットはエメリッヒに最先端の研究開発センターを設立。6台の産業用焙煎機を備え、1時間あたり約4トンのグリーンコーヒーを処理できる能力を持つこの施設は、新技術の試験場となった。

しかし、CEOアビングは慎重だ。「私たちの顧客は毎日コーヒーを焙煎しなければならない。だから、彼らを実験台にすることはできない。だからこそ、駅を通過するすべての列車に飛び乗ることはせず、本当によく考える」。

市場に出る前に、徹底的に検証する。それがプロバットの哲学だった。

第六章:世界中のロースターに愛される理由

ニュージーランドのスペシャルティコーヒーロースター、オゾーンコーヒーのストーリーは興味深い。

2006年、彼らは1950年代製のオーストリア製焙煎機の生産能力が限界に達していた。次に選ぶべき焙煎機を探し、業界のヒーローたちが何を使っているかを調査した結果、答えは明確だった。「プロバットに行くか、家に帰るか」。

彼らが選んだのは、もちろんプロバットだった。理由はシンプルだ。1868年以来150年以上にわたる実績。優れた品質と耐久性。そして、鋳鉄製のコンポーネントによる熱安定性が、完璧な焙煎プロファイルを可能にすることだった。

日本市場でプロバットの代理店を務めるDKSHの担当者は、こう語る。「プロバットでは、たった一人で連続焙煎ができる。他社の焙煎機では、3〜4バッチ焙煎したらチャフ(焙煎時に出る豆の皮)を取り除くために機械を止めなければならない。しかしプロバットは、一人で取り除けるように細部まで改良されている」。

この機能は世界共通だ。世界中のプロのロースターの意見を直接聞き、機能改良を重ねてきた結果だという。

また、マイアミのパンサーコーヒーには、1927年製のプロバット「ペルフェクト」が今も現役で稼働している。二つの世界大戦と帝国の崩壊を生き抜き、数え切れないほどの移転に耐え、今なお美しいコーヒーを焙煎し続ける。それは単なる機械ではなく、生きた記念碑だ。

第七章:未来への挑戦

2018年、プロバットは創立150周年を迎えた。しかし、過去の栄光にとどまることはなかった。

2020年、総額4000万ユーロ(約46億6000万円)を投じて、エメリッヒの本社工場の拡張プロジェクト「プロバットGO」を開始。第二次世界大戦後の再建以来の大規模な刷新だ。

CEOアビングは、礎石式典でこう述べた。「現在の生産施設は、第二次世界大戦での完全な破壊後の再建以来のものだ。この持続可能性を重視した最新の生産施設の創設により、私たちはコア市場において国際的なベンチマークを設定する」。

そして2022年、プロバットは業界初の水素駆動焙煎機を発表する。再生可能エネルギーから作られるグリーン水素を使用し、CO2を排出しない。コーヒー焙煎の未来への大きな一歩だった。

現在、プロバットは115の特許を保有し、世界中に900人以上の従業員を抱える。第4世代の家族経営企業として、その精神は今も変わらない。

CEOアビングは言う。「私たちの従業員の知識がプロバットの資本であり、その知識を継承することが私たちの企業文化の一部だ。私たちの心臓が、世代を超えて鼓動している」。

エピローグ:ワシントン州の森の中で

冒頭のトッド・ミラーの1896年製プロバットに話を戻そう。

この5トンの巨人は、セルビアの納屋から6,500キロの旅を経て、今、ワシントン州ヤコルトの森の中で週に一度、薪の火で焙煎を行っている。使用する木材は、桜、ハンノキ、カエデ。エチオピアのシダマ地方とインドネシアのジャワ島の豆をブレンドした、クラシックなモカジャワだ。

プロバットの従業員たちがこの古い焙煎機の存在を知ったのは、2021年のスペシャルティコーヒーエキスポだった。ドイツからやってきた担当者は言った。「みんな驚いた。特にドイツでは。こんなものがワシントン州で何をしているんだ?」

機械の正確な製造年は、第二次世界大戦での記録の消失により証明不可能だ。しかし、ボールベアリングではなく古いブッシング(軸受)を使用していることから、1900年以前の製造であることは確実だとミラーは主張する。

プロバット社のCEOは、この主張を認め、缶に印刷する許可を与えた。「世界最古のコーヒー焙煎機」と。

博物館長のティナ・フォン・ギムボルン=アビング(創設者テオドールの曾孫娘)は、この機械の正確な年代については懐疑的だ。しかし彼女は、友好的にミラー夫妻をドイツに招待した。

「訪問できることをとても楽しみにしています」とミラーは語る。彼は自社の缶コーヒーを1、2缶持参するつもりだ。

結び:時を超えて繋がる物語

プロバットの焙煎機は、単なる機械ではない。それは、何世代にもわたる人々の人生が交差する場所だ。

機械を作った職人たち。それを使ったロースターたち。その豆を育てた農家たち。そして、できあがったコーヒーを楽しんだ何百万もの人々。

1868年のエメリッヒから、1944年の廃墟から、そして2024年の最先端工場まで。プロバットの物語は、品質への執念、技術革新、そして何よりも人間の回復力の物語だ。

廃墟から立ち上がり、灰の中から不死鳥のように蘇った企業。その精神は、今日もなお世界中の焙煎機の中で、ドラムの回転とともに生き続けている。

あなたが次にコーヒーを飲むとき、そのコーヒーがプロバットで焙煎されたものなら、一杯のカップの向こうに150年以上の歴史が隠されていることを思い出してほしい。

それは、決して諦めなかった人々の物語なのだから。


参考文献:

  • Probat公式ウェブサイト
  • Daily Coffee News各種記事
  • Global Coffee Report
  • Barista Magazine
  • BeanScene Magazine

焙煎機
シェアする

コメント

タイトルとURLをコピーしました